新年

新年明けましておめでとうございます。


と書きながら
新年が明けたのは
もうずいぶん前のような
気もしている。


毎日が忙しく過ぎていく。



あののどかな日々はどこへ。
遠い目をしながら
草引きの日々を想う。



それにしても年末からの
寒さときたら。


−4℃になると言うから
庭にある外付けの水道の蛇口にも
梱包材などのビニールをぐるぐると
巻きつけた。


雪の降った日には
リビングの水道も凍ってしまって
しばらく出なかった。


子供達とマンションで
暮らしていた時には


水道管が凍るとか
灯油の不足などと
心配することは
なかった。



一軒家で
それも古い家で
暮らすことは
本当に手間がかかる。



それは全くもって
合理的な暮らしではない。



大寒波中の朝には
お手洗いの温度計が1℃だった。
もちろん手洗いの水も
凍って出なかった。


朝方に
顔が冷たくて目が覚める。


寒さから逃れようと
廊下ではいつも
小走りになる。


毛に包まれた
猫のネムちゃんでさえ
風邪をひいて鼻水を垂らしている。
数日間、声がかすれて出なかった。


冬は厳しいなぁ。


なんて当たり前のことを
しみじみ感じる。



でも
三寒四温も
三寒あってこそ
四温の日をありがたく
受け取れる。



三寒の日は
本当に動けなくて
事務仕事や
台所仕事に徹し



四温の日には
大物の洗濯や
お掃除をする。



そんな気候に合わせた
暮らし方が
当たり前になっていく。







久しぶりの暖かな
小春日和に



年末以来の庭掃除をした。



落ち葉もずいぶん落ちていて、
集まる、集まる。



そして落ち葉の下には
寒さに負けない
草たちもしっかりと
緑の葉を伸ばしていた。




うむむ、待っておれよ。
そのうちまとめて
引きますから。





ふと、

「坊主頭のおじいさんが
 お庭を歩いていますよ」



お正月に聞いたその言葉を
思い出して
くすりと笑う。







年末の
お祖父ちゃんの花瓶の話の流れで
義母から聞いた話によると



近所の産土神社の
参道途中にある
虫気観音に
お祖父さんと2歳くらいの夫は
毎日散歩に出かけていたらしい。

当時はそこに小さな売店があり
お菓子を買ってもらうのが
常だったそうだ。





31日の大晦日の日に
初詣を避けて
夫と古札を持って
1年の感謝を伝えにお参りに出かけた。



そして
その昔の散歩道の
虫気観音にも
ご挨拶した。



「この小屋が昔は売店だった。
 懐かしいな」



夫も
かっての子供時代の自分と
その頃のお祖父ちゃんに
想いをはせていた。
 


実は
その虫気観音の手前には
九龍神が祀ってある。



ぱっと見には
ゴロゴロした石が混ざった
盛り上がった土が祀って
あるようにしか見えない。



昭和57年に
龍神の姿を現したとあるから
おじいちゃんと夫の散歩の時代には
まだ九龍神としては祀られては
いなかったのかもしれない。




でも
わたしが
この九龍神の存在を知ったのは
2019年の12月だった。



いつもお世話になっている
メッセージで


「地元で九頭竜か
   九龍神を祀られているところに
   行かれてください。
 ご縁があるのだと思います」


今までも龍神様との
ご縁を伝えられることが
幾度もあって


わたし自身も辰年で
子供の頃から雨女で



龍神様との
つながりは
感じてはいた。



だからこそ
そう言われて
人に尋ねたりして
地元の
九頭龍神社や九龍神を
捜した。



その一つがここだったのだ。
 


こんな近くに
九龍神がいらしたのね。
と、軽い気持ちでお参りした。


一昨年の12月には
幼い夫の散歩道だったとことを
知る由もなく
ここにお参りにきていた。




夫とお祖父ちゃんが
虫気観音参りに
毎日この場所に
通っていたことと



アキちゃんからの
九龍神のメッセージは
何か
つながっていたのではないか。


そんな気がした翌日の元旦に


初詣にその同じ場所を訪れたことを
知人のHさんが
SNSにあげていらした。




Hさんは
異次元世界も見えてしまう
不思議さんだ。



新年の挨拶とともに
メッセージを入れると


すぐに電話をくださった。



年末の屏風、花瓶、虫気観音
と、夫のお祖父さんの
存在をすごく感じていると
伝えた。



屏風と花瓶の写メも
送った。


すると
こんなふうに言われた。

「屏風と花瓶からの
 メッセージは
 繁栄です。
 そんな言葉が降りてきました」


そしてかねてから感じていた

「お祖父さんは今でもここに 
 いらっしゃる気がするんだけれど」
と、伝えると




「お祖父さんは、坊主頭ですか?

 坊主頭のお祖父さんがいらっしゃいますね。
 庭をあちこち散歩されてますよ」



お祖父さんが坊主頭かどうかは
知らなかった。

後から夫に確認すると
坊主頭だったとのこと。





ああ、やはり。




そうじゃないか、
と思っていたけれど
 


やっぱりそうだった。



つい、
嬉しくてにっこりする。





Hさんの
言葉をもらって
よりお祖父さんを
身近に感じていた。






あの夕方に箒を
待たされた感じも



訳もわからずに
庭の石を拾い集めたり



いつのまにか
草取りの日々が
始まったことも




庭を歩くお祖父さんが


叶うなら
やりたくて
たまらなかったことだったんだ。




それでも
今はわたしもすっかり
庭いじりが
好きになって。




種明かしのように



お祖父さんと夫が
通った場のエネルギーが



お祖父さんと
わたしをつなげてくれた。





それはただの妄想と
笑われるかもしれない。




でも
わたしの中では



点と点をつないでいくように



小さな印をたどりながら



夫に聞いていた
オシャレで
ユーモラスな
お祖父さんの



面影を集めている気がしていた。





そして



その小さな印が



アキちゃんの整体の
その時々の
メッセージに
混ざってくることも



また面白かった。




こんなことがあった。



昨年の初夏のメッセージだった。


「ご自宅に天井裏みたいなところ
 ありますか?
 なんか覗いてみてって。
 汚れているのか、
 片付けて欲しいのか。
 クリーンになるイメージなんですよ」

と、言われた。


築90年の
天井裏なんてとても登れない。

どんな生き物と遭遇するかも
わからないし、
それはきっと無理とばかりに
言い訳していた。


「でもちょっと心に留めておいてくださいね」

そう言われていた。



そんなある日。


高いところにある神棚の榊と水換えは夫。
仏壇は私と、担当を決めていたのだけれど


夫が
留守で、
代わりを務めて踏み台に乗って
神棚を覗き込んだとき



アキちゃんの声が響いた。

「のぞいてみたら、汚れていて」


たしかにそこには
榊の枯れた葉が
たくさん
散らかっていたのである。




天井裏ではなくて

戸袋のような奥まった場所にある
我が家のご先祖さまの
神棚だった。



これもきっとお祖父さんからの
お知らせだったのだろう。


それから月末には必ず
仏壇とともに
神棚も掃除する様になった。




アキちゃんの整体では
その時々で
たくさんのメッセージをいただくが




あとで思えば
お祖父さんだったのかな、
と思うメッセージが
地元に戻った頃から


増えていた。





お祖父さんが
今でもこの家で



わたし達家族を見守り
共にいてくれることは



素直に 
心から

ありがたいのである。




遠く離れたところにいる
娘達にも
やりたいことを模索する
息子にも


心温まる
出会いや


気づきをもたらす
出来事が起きる時


いつも 


ご縁というものを
深く
感じる。



それが
お祖父さんをはじめとする

ご先祖様の
ネットワークのように
感じることも

多々ある。




その存在が
見えても
見えなくても



ご先祖さまを想い
家族を想い


祈りと感謝の
循環のなかで



何気なく過ごしている
毎日の中に



きっと

たくさんのメッセージを

いただいている。





だからこそ



忙しさの中に
埋もれてしまわないで



目を

耳を

肌を

心を



研ぎ澄ましていよう。




寒さに震える冬の日ですら




そんなメッセージが



日々を
軽やかに


彩っていく。


トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。