お花の先生

去年の秋
母は
迷路の中にいるようだった。


毎日がいつのまにか過ぎて


ぼんやりと
取り残されていた。


話しかけたことには
答えることはできたが、


自分から話すことが
極端に少なくなっていた。


おしゃべり好きな母が
とても静かになっていた。





父を遠くの病院に連れて行った時

お歳暮のカタログを見て
悩んでいた母は


4時間後に戻ってきても

同じ場所で

同じように

カタログを見つめていた。



私を見上げて

「どれにしていいか
    わからない」

本当に困ってしまった
子供のように
悲しい顔で
そう言ったのだ。



4時間も同じ場所に座ったまま
ずっとカタログを
見つめていた母を
目の当たりにして

私の方が泣きそうになった。



だから
なんとかしなければ、と

思った。




ケアマネさんに
相談しながら
環境が整っていった。



週一回のリハビリから
週二回のデイサービスに移り

あっという間に3ヶ月が過ぎた。





そのデイサービスでは
利用者をゲストと呼ばれる。


両親はそこに通いながら


いろんな初めてを
経験していた。


1番びっくりしたのは
公園まで歩いて出かけ


プラスチックのバットと
ゴムボールで
野球をした、
と言うのだ。


母は
杖があって
ようやく歩ける。

その母が

「バットでボールを打った」

と、喜んで連絡したきたのだ。


小学校時代が戦時中の母だ。

野球をしたことも
初めてだった。
もちろん、打っても
走ったりはできない。


でも何度も空振りしたあとに

ようやく当たったボールが
転がって行った時、

きっと走り出したくなるような
嬉しさが込み上げたのだろう。
「野球したのよ!」

得意げにそう言った。



そんな母を微笑ましく思っていた。




お正月を過ぎた頃、

母は
デイサービスの方から

「お花の先生をしてほしい」

と頼まれた。


時々庭の花を
デイサービスに
持って行ったりして

生花の師範だった話をしたら

「ぜひゲストの皆さんにも
 生花を教えてください」

という、流れだったらしく


それからは

いつもいつも
どうやって
お花の活けかたを
教えられるのかを
自分なりに考えていた。



昨年秋に
ぼんやりしている時も
お花を届けると


キリッとした顔になり
その時だけは迷いの中から
抜け出して


ささっと花を活けていた。


花は特効薬だな、
とは感じていた。


花瓶は?

花の種類は?

どこで買えば?


次々に浮かんでくる心配を
デイサービスに行くたびに
スタッフの方に相談する。


スタッフの方も
その投げかけに応じて


大手のナーセリーで
手頃な花瓶や
花の購入先も
見て回ってくださった。


そして当日は

お迎えに来られた車で
花屋さんに向かい

皆さんの分の花を選び
準備万端で

その日だけはゲストではなく


お花の先生として


デイサービスに
向かったのだ。



その様子が
デイサービスのSNSで
あげられていた。


真剣な表情の母が

花をしっかりと握って

ゲストの皆さんの前で

花の向きを整えながら


花瓶に挿している写真だった。



そして

女性も男性も

それは
楽しそうに
素敵に花を活けたり


得意げにご自分の活けた花瓶を
抱えて
写真におさまっていらした。


そして
デイサービスのスタッフの方の
文章には
こう書かれていた。


『生け花』

「お花がないといきていけません。」
草月流の生け花を教えて来られていたK様。
デイサービス〇〇でもお花を生ける場を
K様と一緒に準備しました。

役割や目的。
このことが生活に変化を
もたらしてくれるんだなぁと改めて感じた
1カ月間でした。

その方がどう生きて来られたか。
普段の会話だけでは感じることが
できないことに触れることができ
大きな発見でした。
男性ゲストも真剣に。
先生に教えてもらいながら
花を生けることができました。



1日だけのお花の先生になった
母は


この一月の間に


きっと
頭をフル回転させて

どうやったら
皆さんにもお花を活ける
楽しさを
感じてもらえるのかを

考え続けた。


途切れかけていた神経が
つながっていくくらい


萎れかけた花が
また水を吸い上げるくらい


頑張ったのだと思う。



89歳になる母が

その役目をやり遂げたのだ。



そして何よりも

この機会を
与えてくださった
デイサービスの事業所さんや
スタッフの皆さんにも
感謝しかなかった。






それからしばらくして

母の誕生日が近づき
姉がプレゼントのリクエストを
尋ねる電話をした。


いつもなら、
洋服のリクエストが多い。


以前のリハビリに行くのにも

みんなお洒落してくるから
身体が不自由なりに
身なりは気にしていた。


でも今回は違っていた。

「洋服はね、
 あるから要らないのよ。
 それよりおじいちゃんに
 買ってあげて。
 私はもう十分」


そしてひとしきり
近況報告をすると
こう言ったらしい。

「話を聞いてくれて
 ありがとうね」


姉がびっくりして
私に報告してきた。


「あんまり聞いたことない
 言葉だったよ」

「本当に満たされたんだね〜」 


2人で電話口で笑いながら
気持ちが暖かくなる。






毎日の暮らしは
繰り返しだ。



時計が時刻を
刻むように
坦々と
日々を過ごすこともできる。



高齢だからと


目的も
役割も
喜びもなく


ただ生きていたら


記憶や気力までも

サラサラと流れてしまう。




困難に見える


目的や役割が



どんなに歳を重ねても
どんなに身体が不自由でも



工夫を凝らし、
思考を巡らせ


やってみようと
することが


スパイスになり


活力を生む。




そして
その一つの
チャレンジが


また
次の

ステップになっていく。




それは 
子供でも大人でも
お年寄りでも


同じだった。




その昔パッチワークも
習っていた母が

数年前に
肩の筋が切れて
痛みで
すっかり辞めていた
布巾をまた縫い始めた。


不自由しながらも

「だって手縫いの方が
 使いやすいのよ」

「だからわたし、忙しいの」


いつのまにか電話での
長話をしなくなり


やりたいことを
見つけだしていた。




この世代の人はたちに
かなわない。




なんでも創りだすその手は
真似できない。




そして


楽をすることが

幸せではないことも


知った。




口も

目も耳も

手も足も


ひとつひとつの
細胞だって


役目をはたしたくて

役目をはたせることが



歓びとなり



その
積み重ねを



身体も心も
感じたられたら




きっと

もっと


日々が


愛おしくなる。

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。