春の宴

今年の春は駆け足。


あっという間に草も延び
草取りが追いつかない。

朝晩は寒の戻りのようで
日中は初夏という
温度差の中でも、


梅、ボケ、水仙、木蓮、石楠花と
春の花たちは順番に咲いていく。


草を引きながら
見上げると、
木蓮の花びらが
囁くように開き始め


それを合図にしたかのように
鶯が鳴く。


もう我が家の庭にも
春が満開なのである。



そして
地元の桜が一斉に開き
春霞のように城山を
染め始めた頃


長女とお友達御一行が
初九州上陸を掲げて
車一台に乗り合わせて


京都から下ってこられた。


その数、男女あわせて6名。


ここに至るまでの
攻防もあったけれど


最終的にはいつも
折れてしまう。


あの手のかかる長女の
友達だと思うと

昔からありがたがって
しまうところもあり。


今回も文句を言いながらも
6組の布団や毛布を準備して
洗ったり
干したり

敷地内にある

元貸家に運んだりと
来る前から
ヘトヘトになる。


それでも
たくさんの来客に
どこか
ウキウキしながら


来客好きの夫ともに
いそいそとおつまみや
ビールなども準備していた。



夜中に車で
到着した御一行は
途中で温泉に入り
 

それこそ湯上がり
タオルを肩にかけたまま
半纏を羽織ってる人もいたりして


なんと言うか



ザ・昭和だった。


吸ってる煙草が
セブンスターだったり


横分けにした髪を
黒ピンで留めた
男子もいたりして


キョロキョロと
観察してしまう。


なぜか皆さん、
19〜24歳のハツラツ感が
どこにもなく



妙に
レトロな元貸家に
馴染んでしまう
落ち着きぶりだった。



長女の彼氏さんの
大学の寮生の
皆さんなのだが


皆さん、
もう何度目の人生ですか?


と、問いたくなる
人生の先輩ぶりを
醸し出していた。



そんな先輩方の中で
一番年上の長女は


この度のツアーガイドよろしく
張り切っていた。


翌日はお昼前に出発して
地元の有名な地鶏とだこ汁を
食し
有名な水源を散策し
大観峰へ。


その頃家では
前日におでんを
10人分仕込んでいたので


おばあちゃんにお願いして
春らしく筍寿司を
準備してもらっていた。


おばあちゃんの得意料理だから
美味しいことは間違いないけれど
いかんせん、
いつもより大量のため

2人してあくせくしてしまった。


そんなこんなで

再び別の温泉に浸かり
いい気分の御一行に
ようこそ!の気持ちを込めて
なんとか
お出迎え料理を
ふるまったのであった。

が、

ザ・昭和の皆様は
草食系のようで
年齢の割には
少食だった。


あんなに
大食いだった長女さえ、

「こんなに食べれない」
と、信じられない発言をして


大人になるって
なんだかな、と

淋しくも感じてしまう。


さてさて
翌日も観光だからと
その日はそそくさと
退散した。




しかし
翌日も朝から近所の
温泉に浸かり
ホカホカの湯気をあげながら

「城の井温泉、サイコーです!」

なんて連れ立って帰ってきた
若者たちに
上機嫌で近所の温泉を
褒められると

こっちまで気分が良い。


喜んでくれていると
嬉しいもんだ。




そして最後の夜は
来客時、
恒例のバーベキュー。



あいにくの雨の予報に
前日に
夫ご自慢のバーベキューセットを
屋根付きの場所に
みんなで移動していた。



会場は設営できていたものの


突発的な
アクシデントで予定の時間に
料理が何も
できていない状況に陥り


更にその諸事情で
バーベキュー参加人数も増え
全部で12人となることになり


当たりが暗くなりはじめて

リビングに並ぶ
8人を前に

限られた材料で

猛ダッシュで
指示を飛ばす。

「玉ねぎスライス、 
 もやし
 ベーコン、椎茸薄切り
 塩胡椒して
 バターのせて
 ホイルにくるんで」


「パール柑は四つ切りにして
   皮に切れ目をいれて
   全部剥いといて」

「剥いたらクレソンと混ぜて 
 オリーブオイルとバルサミコであえて
   カッテージチーズも乗せて」
 
「茹でたじゃがいももホイルに入れて
   塩胡椒とバターのせて」

「イチゴも半分に切っといて」

 「おにぎりいる?」


中にはふだん全く料理しない男子も

「この玉ねぎのスライスが楽しいから
 ここは俺に任せてくれ」
とか言ってくれて

「パール柑ってこうやって
 むくんだ〜」

「バター入れ忘れた〜」

「ホイル破けてる!」

「皿運んだ〜。コップ足りる?
 箸はー?」 

など、さまざまな声が飛びかうなか

夫が焼き始めたお肉のいい匂いが
あたりを漂う。


肉だけは注文して置いたものが
届いていた。


新規のお客様が
4名いるから

この際
昨日のおでんも筍寿司も
だしてまえ〜とばかりに
並べた。


みんな頑張ってくれた。


なんとかなるもんだった。



多すぎたおでんも
筍寿司も
綺麗に消費された。



初めましての
人達も
アルコールの力も借りて

和気藹々と話も弾んでいた。



薄暗くなる中で
照明もつけて

音楽と雨音をバックに


長女を介して集まった友達と


予定外に参加した従兄2人も


京都に遊びに行く予定の
地元に住むニュージーランド人の
ご夫婦も


ちょっとのタイムラインが
違えば

出会うことのない
人たちだった。



予想外のアクシデントも
一夜の邂逅に
一役買って


次の再会の話へと
盛り上がっていく。



「出会い」 って面白い。




昨日まで見ず知らずの人たちが


偶然のようにして
必然のように


いつのまにか
同じタイムラインにのって


隣同士で


共通の話題を見つけては
頷き、
笑い合い

響き合う。



そして時に1人消えて

またフラリと戻ってきたり。


無理してテンションを
合わせているふうでもなく


自然体で
その場を楽しんでいた。


そんな
今どきの若者達の交流を
(とは言っても昭和臭漂う先輩方)


少し遠目に眺めながら



夫の(人を集める)イベント好きは
そのまま子供達に遺伝して


毎年のように子供達も
友達を連れて帰り


この家を賑わしてきたけれど


いつも
私が構えすぎて

かまいすぎて


終わるととても疲れて

なかなか、いつでもいいよ!


とは言えずにきた。



けれど

こうして
笑い声の響くことが、



昨年からの閉じた世界を
経験したあとは


よけいに

しあわせな時間だと


しみじみと

感じていた。




無理をして
背伸びして


たくさんの料理を
用意したりしなくても


集う場と集う人が


何よりの宝だった。



お料理も
雰囲気も


エッセンスで



メインでなくてもよかった。







開かれた「場」があれば


そこがきっと


「宴」の場所になる。




そんなことも


今回のアクシデントを通して


教えられたような

気がした。





子供達が
どんどん大人になって


自分の世界を持っていくことが


頼もしくもあり


少しだけ
淋しさも感じながら



でも


この家が


人を連れてきたい場所で
あることが


素直に
嬉しかった。




翌日、全員総出で


バーベキューと
布団類の
後片付けをした。



遠慮せずに
若者達に

どんどんお願いした。


人数が多ければ
あっという間だった。



マイペースで
そんなにお上手も
言わない

先輩オーラを感じる
この若者達は


昨日の料理の手伝いといい 


やるときは
やってくれるんだな。


気持ちが暖かくなる。



車に乗り込んだ御一行に
手を振り



小さな声で

「またおいでね」

と、言ってみた。








そんな緩い「宴」もできる場所を



夫がこの地に創りたい、
と言い出している。


内心
嫌だなぁ、めんどくさいなぁ、

と思っていた
私にも


少しだけ夫のやりたい


「宴」の魅力が




わかった気がした。




余談。


前回の京都行きの際

砥石をゲットしていた彼氏さんに

私の包丁も
研いでほしいとお願いしていたら

今回のツアーに
本当に砥石を持ってきてくれて

丁寧に包丁を研いでくれた。


すると初おろし以上の
切れ味の包丁に蘇った。


その切れ味は

にんじんの漬物の表面が
セロテープを貼ったかのように
ツルツルになり
別の食品を食べているようだった。


そして
あまりの切れの良さに
早々に指の皮を
切った。


新玉ねぎもサクサク切れて
嬉しさのあまり

3個も千切りにして
酢玉ねぎにしてしまった。


言ってみるもんだ。



娘の彼氏さんは

実の息子よりも
もちろん夫よりも

優しくて
気が利いていて

今回ホワイトデーの
お返しも

彼氏さんだけが
くださって
(息子と夫に毎年渡しているのに
 お返しもらったことなし)


母親には

ちょっとだけ嬉しい存在だったりする。

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。