受け継がれていくもの

今年も両親の
介護認定の会議があった。 

昨年に引き続き要介護1。


週2回のデイサービスと入浴サービスを
受けているのだけれど

今回ケアマネさんから
週3回のデイサービスを
勧められた。

本当はもう少し早くに
すすめたかったけれど
コロナもあったので、と。

両親は
2人とも疲れるから
週2回で大丈夫、と
すぐに答えていた。



けれどお正月に兄妹たちで
集まった時に

実は私たちの中では
週3回にした方がいいのでは、
という話になっていたのだ。


それは義姉が日中
両親の様子を見ていて
心配そうに語ったことからだった。


週2日のデイサービス以外の
日中の2人は
テレビをつけたまま
見るわけでもなく

椅子にかけたまま
うたた寝をしたり

2人で話すこともなく
ぼんやり
ほんやり
過ごしていたのだ。

そして
ぼんやりの中で
記憶も気力も

少しずつなくしていってる
ように見えた。

父は
自分に課していた
日中の作業も手放し始めた。

「もうすぐ93歳になるから
 やらなくてもいいんだ」

そう母に
言い訳していたそうだ。


その過程があったので

ケアマネさんの勧めを聞いて
このタイミングを逃してはならないと

改めてケアマネさんに
週3回をすすめていただいた
意図を確認した。

「日中の時間の過ごし方が
 今後の認知症の進行に
 関与してくるからです。

 週3回通うことは
 たしかに疲れることかもしれませんが
 送迎の方に会い
 看護師さんに会い
 声をかけられ
 今日が何日か、何曜日かを
 考えたり
 お世話してくださるかたの
 名前を呼んだり、
 ありがとうを伝える、

 そういう日常の会話、
 動作一つ一つが
 大事な刺激になるんですよ。
 家で座っていることは
 身体も動かさなくてよく
 楽ですが
 運動機能も意識も
 落ちていきますよ。
 
 1日おきにリズムよく 
 活動することは
 緊張感も含め
 体力維持のためにも
 今後のためにも
 大事なことなんです」


なるほど。


深く納得したのである。

たしかに
高齢だからと

特に冬休みは人手もあって
至れり尽くせりで

ますます2人は
動かなくなっていた。


これは私から伝えよう。

多少厳しいことも
言わねばならない。


でも、どう伝えよう。

頭の中で
ぐるぐる考えながらも
まとまらないまま
実家に出かけた。



日曜の午後
2人は待っていた。


週3回通う提案を
兄から聞いてはいた。


開口一番

「週3回もデイサービスに
 いくのは疲れるよ。
 人に会うのも緊張するもんだよ。
 だんだん億劫になるからね。
 週2回で十分だと思うけどね」

父は行く気がないことを
アピールしてくる。



少し間をおいて

「そのままね、
 家の中でもぼんやり
 気楽に過ごしていくと
 おじいちゃんはその先
 どうなっていくのかな」

お正月に娘や孫たちに会えて
少し気力を持ち直した
母は
「そうなのよ、
 おじいちゃんは
 めんどうくさいと
 全然動かなくなって」

里帰りした妹を悪役にする。

「◯子がね、一年ぶりに会った
 おじいちゃんが、
   去年と全然違うって
 びっくりしていたよ。
 庭の水撒きやら、
 やれることを見つけてやってた
 おじいちゃんが全然動かなくなって
 すっかりめんどくさがりになって
 しまったって」

父は
ちょっとハッとする。
 
「想像してみて。
   
 緊張感もなく 
   めんどくさがって
 椅子に座って
 ぼんやりしていくうちに
 だんだん今日が何日で何曜日かも
 どうでも良くなって
 そのうち
 電話のかけ方も
 私が誰かも
 孫を見ても名前がわからなくなる。
 
 今めんどくさいと
 思える
 小さな繰り返しが 
 実はおじいちゃんが
 おじいちゃんでいることを 
 支えてくれてるんだよ。

 デイサービスに行って
 いろんな人に会うことも
 作業をしたり
 話をしたり
 活動したりすることも
 緊張や疲れも

 おじいちゃんを維持するために
 大事な時間なんだよ。」
 
すると父は

「それはそうだね。
 いや、俺なりに努力はしてるんだよ。
 お正月にもオセロを
 孫たちとしたりして
 頭使うようにね。
 負けたら悔しいけど
 頑張って考えたよ」


「オセロもいいけどね、
 暮らすってこととは違うでしょ。

 暮らすことは
 生きることだよ。
 ご飯も トイレも お風呂も
 そこにまつわること、
 できることは
 できなくならないように
 努力をしてほしい。

 できないことをしてとは言わない。
 暮らすことを手放さないで
 ほしいんだよ。

 ケアマネさんも
 デイサービスの人も
 兄さんも義姉さんも私も
 おじいちゃんたちが
 家で暮らせるように
 頑張っているんだよ。
  
 だからおじいちゃんも、 
 家で暮らす、ことを
 めんどくさがらないでほしい」


おじいちゃんの目に
力が入った気がした。

「わかった。
 本当にそうだ。

 いや、もうすぐ93歳になるから 
 もういいかという気になっていた。

 甘えたらいかんね。
 
 正月からガツンとやられた。
 
 デイサービスにも行くよ。
 できることはしなきゃいかん」

そう言ってくれた。

ホッとして饒舌になってしまう。

「お正月にさ、  
 いつまでもみんな集まれるのは
 おじいちゃんとおばあちゃんが
 元気で家にいるからだよ。

 2人がいるから
 孫たちが多勢集まって
 毎年恒例の百人一首大会も
 腕相撲大会もできるんだよ。
 
 おじいちゃんが
 孫の顔もわからなくなったら
 集まれないよ。
 
 頑張ってよ」


誰が話してるんだ、

そんな気持ちになっていた。


毎週通うことも
なかなかめんどくさい、と
正直、私だって思っていた。


いつまで続くのかな、と
不安に思うことだってある。




でも



毎年恒例のお正月行事に


大人になっても

奥さんや、彼氏も
連れてくる
甥っ子や姪っ子達を見ていると


彼らの中に
たしかに
受け継がれていくものを


見つけてしまうのである。



それは
集い続けることで
生まれる


「あたたかなつながり」


 

父が殊勝な面持ちで言う。

「俺は思えば
 いい父親でもなかった。

 でもおばあちゃんがいたから、

 おばあちゃんが子供たちを
 ちゃんと育ててくれたと思う。
 
 おばあちゃんの良いところを
 ちゃんとみんなが
 受け継いでくれたよ」


父をだいぶ責めてきたことを
苦笑いしながら

「どっちもだよ。
 
    2人が一生懸命、
 多勢の子供を育ててくれたことも

 人のためにも
 頑張ってきたことも

 ちゃんと知っているから。

 良いとこも悪いとこも
 どっちも受け継いでいるよ。


 でも最近思うんだよ。


 私も歳をとって
 できなくなることを
 感じ始めている。


 今こう言ってても、

 歳を取ることを
 辛く感じて
 文句言ったり
 嘆いたりするかもしれない。


 でも
 おじいちゃんやおばあちゃんは
 どう生きてきた?

 て、いつか
 きっとそう思う。


 おじいちゃんたちは
 ちょっと先の

 未来であり
 手本なんだよ。


 本当に残っていくものは

 どう生きていたか、

 それだけなんじゃないかな」

 
なんだか
泣きそうになりながら


私が
わたしに
言い聞かせていた。



子育てをしているときは
がむしゃらだった。


やることは常にたくさんあって。


1日の時間が全然
足りなくて。


こんな日がずっとずっと
続くと思っていたのだ。



でも、終わる、


ある日ぽっかり
終わるのだ。


自分の時間が取れるようになり

さて、
今日は何をしよう。


そんなふうに
ゆっくりと時間を
過ごせる日もくる。


自由を得て

穏やかな
安らぐ自分にも出会えて。


でも
時間は限られていることも

少しずつ自覚していく。


そんな
ゆるやかなゴールに向けて


日々をどう生きるのか。



両親だけでなく
自分にも


新しい宿題を
渡していた。


翌週から
両親は週3日デイサービスに
通うようになった。


週末に顔を出して
「週3回はどんな感じ?」

と尋ねると

おばあちゃんは

「忙しいのよ。
 帰るとすぐ洗濯しないと
 いけないから」

と、少し口をとがらす。


リビングの壁には
義姉が
おばあちゃんの足の体操を
手描きのイラストで
順番と回数を書いて
貼ってくれていた。

忘れずに体操ができるようにとの
心使いが嬉しかった。



おばあちゃんの用事を済ませて
家に戻ると
昼寝から起きてきた父が
上着をはおる。


庭に出て何をしているのかと
のぞいたら


箒を持って
散った椿の花や落ち葉を
不自由な片手を
ゆっくり動かしながら
履いていた。


義姉が
「最近いつも綺麗に
   掃除してくれるのよ」

嬉しそうに笑った。


「人は生きているかぎり成長していく」

そう聞いていた言葉が

胸に響いた。


そうありたい、
そう生きたい。


素直にそう思えた。


休学してから
しょっちゅう顔を見せる
長男がこう言った。

「友達が来るとさ、
 ついつい料理して
 振る舞っちゃうんだよねー。
 お母さん、じゃなく
 おばあちゃんの
 遺伝だなぁ、と思うんだよ」


耳が痛いけど
嬉しいセリフだった。


料理が上手だった母の
想いも
ちゃんと受け継がれている。



その母も旅館をしていた母親の
想いを受け継いでいた。




生き方は



知らない間に
気づかなくても


いつのまにか
受け継がれていく。



たくさんの命が
つないできた

長いようて短く
儚くも思える人生にも



受け継がれていく
あたたかなつながりが



きっと
どんな時も


希望になっていく。

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。