今、注目の成田さん

久しぶりにときめいていた。

行き詰まった感の漂う世界に
救世主のように
現れた成田悠輔さん。


本人は救世主のつもりなど
全くないけれど

彼の語る言葉を
聞いていると
世の中の閉塞感も
沈みゆく日本の未来も

あらゆる問題が
解決に結びつかず
時間が過ぎていくように
思えることも


日本という国が
解決能力もない
ダメダメな国のように
思えてしまうことも


成田さんは
そんな日本の在り方を
そう悪いことばかりでもない
と思っていて

「ゆっくりと沈みゆけばいい」
と、そう言い切ってくれた。


その言葉がなぜか
未来への希望のように
思えたのだ。



彼の経歴は
日本の実業家、経済学者。イェール大学助教授。半熟仮想株式会社代表取締役。 専門はデータ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと公共政策の想像とデザイン。


思想家の父の影響で
幼い頃から哲学書を読みあさり
睡眠障害を抱えるため
中学から不登校になり


思想家の父は失踪し
母一人息子2人で暮らす中、
母も病に倒れ 
不自由な身体になる。


絵に描いたような
不幸が続く中でも

弟と2人で
母を助けながら

自身の発想や思考を深めるために
高校生の頃には
哲学者や研究者と
交流を深め
知見と感性を磨き
不登校でも東大に入学し
首席で卒業し
現在に至っている。

今、最もシュンな天才と呼ばれる
成田さんは

幼少の頃から
居場所のなさを感じ
拠点のない自分を
持て余していたそうだ。


そんな彼が
データーに基づいた分析によって

高齢化問題、
経済、
教育問題
など、
課題山積みな日本について

語るとき
その切り口が斬新なのだ。

彼の話によると
20代の若者全員が
投票に行ったところで
人口比の中で
マイノリティでしかなく

今の政党をひっくり返す
ことは出来ないそうだ。

「若者が政治に無関心なのは問題だ」

と、言われて久しく、

親としても
選挙くらい行きなさい!
と、子供にもうるさく言ってきた。

だが、
現実には若者が投票したところで
若者の意志を反映する事態には
いたらないのである。

彼曰く
それよりも若者がどこかの島を
占領して
自分達の独立国家を
作った方がいいですよ、と。


更に彼は言う。

高齢の政治家にも
識者にも

そういう若者たちや
世の中を動かそうとしている
後輩のためにも

あなた方、
高齢者は
引退されてはいかがですか?

と、
笑顔を見せながら
遠慮もなくはっきりと伝える。


厳しい言葉だけれど
誰かが印籠を渡さなければ
いけない時期なのだと

偉い先生だから
功績のある文化人だからと
誰もが口をつぐんでしまう
人に向かってでも

そう伝えるのだ。


そういう切り裂きジャックのような
一面を持ちながらも

彼が炎上することなく
今も注目を
浴び続けているのは

彼自身がずっと
答えの出ない問いを

自分に問い続けているから
だと思う。


悩むこと、思考すること
そして苦しみながら
選択する経緯を
知り尽くしているからこそ


悩み苦しみ、それでも
答えを見つけようとする人には
仏のようであり、


奢り、高ぶり、
執着する人には
仁王なのだ。



ダメだと思える日本の施策は
他国のように
いろいろなことを
切り捨てていけるような
強いリーダーシップの不在が
原因だと言われているけれど


そこに救われている人が
たくさんいることも
事実だった。


65歳以上の高齢者が
日本の全人口なら29%を
占める今、
高齢者に手厚すぎると批判もあるが

現実的に
高齢者が
受けている介護保険制度は
当事者にとっても
その家族にとっても
ありがたいものだ。

審査の基準が厳しいなど
地域差も大きいが
介護認定されると
安定したサービスを
受けることができる。

そして実際に元気になっていく
様子を目の当たりにすると


介護保険を
支払っているだけの時と

実際に介護サービスを
受けることになると

どうしても
視点が変わってしまう。


ネットの討論番組で
若手の知事や議員が
活発に意見を述べていた。

高齢者の介護問題で
田舎の山の中を
介護士さんが1軒1軒回って
介護するような
非効率なことをやめて
高齢者を一か所にまとめて
介護をすれば
介護者不足も改善する。
そういことこそ
政治の力でやるべきだ、
と力説されていた。

けれど
そんなに単純な話ではない。


高齢者が
住む環境を変えれば
まずは一気に
認知症が進み
介護度があがることは
容易に予測できる。


自分の居場所で
不自由な身体を抱えて

出来るだけ自分のことを
自分でしようと、

日々努力をしているからこそ
敢えて自分を保てている人も 
多いのだ。


そういう、
実際の状況と
効率化を図るための
政策との
噛み合わない部分を

すり合わせ
すり合わせ

いきつく結論は

最終的には

刹那さや
やるせなさを
残しながら

受け入れていくしか
ないのである。


その過程を
飛ばすことのできない

政策の施行に
時間のかかる国、日本が

ゆっくりと沈みゆくことは
間違いないだろうが

沈みゆきながら

実際には救われている人も
たくさんいるのだ。


そのバランスを思うと

日本はそう悪い国では
ないのかもしれない、

と私も感じ始めた。


成田さんの沈みゆく発言を聞いて

私が勝手に妄想を
膨らませただけの
話かもしれないが

彼の背景を知った時に
腑に落ちた気がした。



近い将来、
安楽死問題も
政策として議論に上がると言う。


数日前に
義母が検査入院した時の
入院前のアンケートを読んで
驚いた。


4年前に入院した時には
そこまでの内容ではなかった。


普段、私は延命措置は必要ないからね!
と言っていた義母も驚いていた。

そのアンケートには

胃ろう、外科的気道確保
(5年前の延命措置はこのこの辺までだった)
心臓マッサージ、 
酸素吸入、
栄養の点滴まで
するか、しないかを確認されるのである。

そこはまだ医療でしょう、と
突っ込みたくなる内容まで
本人の意志を確認する
状況になっていた。

もちろん、
まだ決めないという
選択肢もあるのだが。


この5年でここまで進めば

安楽死の議論も
すぐそこにきていることを
しみじみ感じた。



世の中の変化するスピードは
どんどん加速していく。


成田さんは言う。

日々のルーティンに流されるのではなく
時にはサイコロを振って

その日の行先を決めるような
ランダムな選択をしよう。

そこで
見たことのない景色や
出会ったことのない人に出会い


人の普遍的な悩みや
行き詰まりのある世の中に
風穴を開けるような

新しい発想や、概念が
生まれるかもしれないと。


今、環境に最も悪い、と言われている
大きな焚き火だって
(ある活動に参加してよく焚き火を
 するそうだ)

ずっと先に焚き火が世の中を
変えた、
と言われるようなものに
なる可能性だってあると。


自分の生き方を固定せず

たくさんの思考と実践が
あってのアドリブだと。


いくつもの成田さんの
youtuveを見て

悩むことの過程こそが
結論を受け入れる勇気になる、と

力強く感じていた。




成田さんのお陰で

いくつになっても
トライ&エラーだ!
と、始めたことが
Instagram


FBは出遅れすぎて
今さら向かえないけれど
Instagramは
写真と一言の投稿で良かった。

夫の洋館の
告知のために
SNSを使って少しずつ
投稿を始めてください、と
コンサルの方に
言われたこともあって

Youtube先生で勉強しながら
やってみたら
結構面白かった。


調子に乗ってあげていたら
子供から
「ダサい」
と、これまた厳しい一言を
もらった。

一瞬ひるんで
投稿を限定しようかと思ったり
したのだけれど

何のための告知か!と
開き直った。


自分の中に
評価されることへの
怖さがあったことにも
気づいた。


でも、もういい。

子供の批評より
自分が
楽しめればいいや

ダサくても
センス悪くても


そのうち洗練されるかも
しれないし


そもそも
右手で簡単に
デザインぽいことを
することが楽しかった。



思考より試行

習うより慣れろ

繊細より鈍感力だ。笑



寒すぎて篭りすぎた2月を経て

サクラと共に私を開いてみよう、
そんな気持ちになっていた。

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トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。