おしゃべりな魔法使い 

その人の存在感は半端でなかった。


ゴーーン、と銅鑼の音が
響きそうだった。

サロンの奥に座っているその人は
エジプシャンな顔をしていた。


私にはそう見えた。

初めて受けた講座は

スターシード講座だった。


インナーチャイルドカードを使う。
昔から伝わるおとぎ話が
カードになっていた。


人魚姫
オズの魔法使い
シンデレラ
塔の上のお姫様
アーサー王
赤ずきんちゃん
etc



おとぎ話は
実はすべての物語と連動し
すべての惑星と連動している。


そもそも〜
あらゆる〜
いにしえの〜
かっての〜
宇宙の集合意識が〜

とめどなくあふれてくる言葉の
途切れ途切れしか
頭に入らない
何を言われてるのか
わからなかった。


講座の間中
カードを引きながら
異次元を旅していた。
その人の話す言葉が
チカチカと光り
頭からシャワーのように
浴びせられるのに

意味が半分も理解できず
眠くなる。
体内で化学反応が起きているのか。


でも2日目、3日目と続くと
体の中の細胞が
喜んでいることがわかる。


この体験したことのない
感覚はなんだろう。

体内の細胞の中でその人の言葉が
パチンパチンと
弾けては、
花火の後の炎のしずくのように
キラキラと輝く。

カードの内容も
話の内容も覚えていないのに
ココロとカラダが満たされていく。


魔法使い



魔女と言うより、魔法使い。

魔法使いマーリンのように
裾の長いマントと
魔法の杖を持って
大きく両手を掲げている。


その言葉がこんなに
ぴったりくる人を
ほかに知らなかった。


その3日間は
魔法の言葉を浴び続け
なぜか世の中が
輝いて見えた。


その世界感、と言うより
宇宙の叡智に再びふれたくて
半年後に彼女の

ボイジャー講座も受講した。







15年前に姉弟を亡くしていた。


2年間のうちに起きた出来事で
人生の中で
最も辛い時期だった。


楽しく、優しい人たちだった。



いつのまにか心を病んで
いろんな症状に苦しみ
まだこれからの年齢で
亡くなった。



家族の受けた衝撃は
計りしれず


故人を想えば
いたたまれない
気持ちに苛まれていた。



その数年後には
両親が立て続けに癌になり
幸い発見が早く
手術して事なきを得たが


自責の念が
どれほど体を蝕むものかは
目の前で感じていた。



それでも、つい
考えてしまう。


なぜ。


何をしたら
何をしなければ
よかったのか。


疑問と後悔


その不条理さが胸の中で
消化できずにいた。


喉の奥がいつも苦しかった。


因果応報
過去世の償い
身に覚えのないことへの
償いとは。

人生は修行、
起きたことはカルマの解消。


そんな自己啓発の本も
たくさん読んだ。


無理やり納得しようとしていた。

眉間にできたタテのシワが
消えなかった。


答えの見つからない問いを
かかえて
子育てにも
行き詰まっていた。



そんな時に知り合った友人が
私の喉のしめつけを、

彼女の在り方から
視点をイマ(現在)に変えることで


少しずつ
ゆるめてくれた。


そして彼女が
東から招いたその人が


エジプシャンな雰囲気をまとった

おしゃべりな魔法使いだった。






彼女の言葉を聞いていると

その魔法のマントに包まれ


体はここにいるのに、
心は宇宙に深く潜り


星の輝く夜空というより

静かで広大な宇宙空間に浮いて


遠くの地球を宇宙から
眺めているような気持ちになる。


そして遠くから眺めるその地球で
起きている出来事は


全てが物語なのである。


お伽話は全ての物語を網羅している。


あなたに起きる出来事も
わたしに起きる出来事も


生まれる時に握ってきた
ブループリントの
大筋に沿って
紡がれる物語。


それは個々の物語である。


おとぎ話のカードの絵柄に
そのシーンに
そこに起きている魔法が
解き明かされる。


頭では理解できないのに
体の細胞が
ほどけて
ゆるんでいく。


まるで意識を宇宙にあずけて
いるように
肩の力が抜けて
ただ息をしている
安心感

思考がとまっていた

その時、初めて意識したのである。


わたしはずっと
ものごとの起こる意味を
考え続けていた。




ボイジャー講座では

彼女の撒いた宇宙の種が
わたしの中で雲を超えて伸びる
ジャックの豆の木のように
ぐんぐんと視点を育て

見えなかった世界に気づいていく。


誰の視点で見ていたのか。


その悪役は
本当に悪役だったのか。


渦中にいる時、
もう人生が終わるように感じる時も
その先に続く道の
通過点でしかない。



すでにその受講から
5年の月日が経っている。


その講座で
紡がれた言葉が
その時、その場ではなく

 
わたしの物語が、
ページをめくるとき
まるで
カプセルにくるんで
埋められた言葉が
パチンと割れて
魔法が解けたかのように
その時にその場に
現れてくるのである。


ああ、そうか。


言の葉がひらひらと
腑に落ちていく。



『起きる出来事は
   すべて
   恩恵でしかない。』


彼女は何度もそう伝えてくれた。



握りしめてきた

家族の突然の「死」すら

恩恵なのだろうか。



『魂という存在に気づいたとき
    肉体は乗り物でしかない』


繰り返される生と死。


この肉体を持って
何を学びにきたのか。
何を体験しにきたのか。


DNAの二重の織りなす螺旋の中に
仕込まれた
タイムカプセルのように
時期が訪れた時に
発芽する種。


それがその人が握ってきた
ブループリントであり
その人の物語なのである。


その物語は
その人にしか紡げない。


どんなに深い関わりをもっていても
どんなに相手を思っていても
どんなに理解をしようとしても


その人の経験と感覚は
その人だけのものである。

その人がどんな意志で
その体験を選んだのかは

どんなに想像しても
私の見解でしかない。


ずっと捜してきた
たったひとつの真理などなく

わたしのとらえた
真理でしかないのである。



『わたしたちは見たいものしか
 見ていない』



ならば
それならば

わたしの疑問と後悔に
何の意味があるのだろうか。



家族として
時を重ねた意味を
否定するより
疑問視するより


共に過ごせた日々を

大切な時間だったと

死すらも
意志であると
尊厳を守り
これ以上の詮索は必要ないと


果てのない宇宙に
天の船に乗せて
花と祈りを添えて

また出会うその時までと
送りだそう。


握りしめていた想いを
手のひらを
ようやく
ひらいて

てばなしていた。


こんなに長い探求を
続けてきて


わたしが受け取ったものは
深い感謝と
再び出会える希望という
恩恵であった。



生と死が
始まりと終わりでなく、

別れはひとときである。


何度も出会いを繰り返してきた。



宇宙は遠い彼方でない。


わたしたちも
宇宙の一部である。


わたしの身体が細胞の
集まりであるように


宇宙もわたしたちという
細胞を孕んで
存在している。


別々の存在のようにして
同じ原子をもつ
星々の子ども。


星々が輝くように
わたしたちの物語も
それぞれの光で
輝いている。



きっと彼らの魂も
この宇宙で息づいて
また違うどこかの星で
巡り合える。



そう、信じられる。



10人いれば
ひとりひとり全く違う
真理がある。



それでいい。



所詮、わたしの物語である。


されど、わたしの物語。


人と出会い、

家族という絆をもち

わたしから生まれても

家族とわたしの物語は

同じではない。


それは
フラワーオブライフのグリットのように

ひととき
繋いだ手をまた離し


それぞれが

おのおのの物語を

また紡いでいく。




これが


おしゃべりな魔法使いの
言の葉をあびて


わたしのなかで
織りあがった

わたしの

ものがだり。







おしゃべりな魔法使いこと、


クロノアユミさんのHPです。

必要な方に届きますように。

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。