いざ京都へ ① 浪人時代  

張り切りすぎた。
初めての1人暮らしの上に
早朝の朝食出しのバイトまでして。

予備校は直前講習も受講した
Kアートスクールに入校した。
午前中学科、午後からデッサンなどの
授業が4月から始まった。
やる気満々だったが、
梅雨入りと共に
気合と緊張の糸が溶けたように
気持ちが落ちていった。

5月末から
やる気が出ない。
食欲がない、と言い出す。
そのうち毎日かかってきてた電話が
鳴らなくなる。

むむむ、これら
五月病ではなかろうか。

弱音の電話は励ませばいいのだが、
長女の場合は
本当に落ちると
誰とも話したくなくなる。
音信不通が危ない。
ラインの返信もこない。

ありゃ、これは本当にまずいかも。

音信不通から10日も経った
6月の半ばに
夜の12時に近い時間に電話が鳴る。

電話の内容に驚く。

10日前に死にかけた子猫を拾った。
友達と2人でお金を出し合って
病院に連れていって一命を取りとめ
家に連れて帰って世話していると。

もらってくれる人を捜しているけど
夜遅くに子猫の具合が悪いから
夜間診療に3万かかるけど
連れていってもいいか?
とのお尋ねだった。

病院に行かないと
死んじゃうと、半泣き。

結局カードがなくて
夜間診療は受けられなかった。
でも猫は翌朝には元気になった。
淋しくて辛くなってた時に
子猫のお世話をすることで
元気は取り戻していたようだ。

まさか猫を拾っていたとは。
いつも予想外のことをしでかす。
アパートはペット禁止なのだ。

おまけにしばらくは
兄弟猫まで拾って
2匹の子猫のお世話に
明け暮れていたらしい。

1匹の子猫はもらい手が決まったが、
長女が手放したくなかったからか、
最初に拾った子猫のネムちゃんは
そのまま飼うことになった。

幸い子猫は大人しくて、
お利口さんだったので
ご近所に迷惑をかけることも
なさそうだった。

小さい頃から
ずっと生き物を育ててきた。
幼稚園時にはカブト虫、クワガタ虫。
卵から成虫にした。
小学生になっなら
犬のクッキー。
ヤゴも育ててトンボにした。
そしてメダカ。
何回も卵を産ませて
増やして育てた。

生き物がいないと
淋しくてたまらない、と言う。

どうなるかわからないけれど
今、子猫が気持ちの支えになるなら
いつまでかわからないけど、
目をつぶろうと、思った。

7月になり、
子猫のもらい手に心当たりがある、と
友達に誘われて
その友達のご両親の知人宅に行く。
猫好きだから飼ってもらえるかも、と。

尋ねてみると、
一人娘さんが猫アレルギーだった。
猫は飼えないけれど
その方は東大出身でR大学で
数学を教えていらっしゃって
個人的にも少数の受験生に指導される
プロの家庭教師でもあった。

子猫を通して出会ったその先生の話に
長女はすっかり魅了されていた。

感覚人間の長女が
「学問とは哲学なんだよ。
 一つの問題を解くのは記憶ではなく、
 理論が必要だからね。
 それは芸術も同じだよ」と
語られた言葉にこれからの受験勉強に
希望を見出してしまった模様で、
興奮気味に電話をかけてきた。

「あの先生に数学を教えてもらいたい」

はりきりすぎた疲れから
半分引きこもりに
なりかけていた。
そんな時に見つけた子猫が
引き合わせてくれたご縁。

誰も知合いのいない京都で
一筋の光になりそうな出会いだった。

8月からお世話になった。

週二回先生のご自宅に伺うと
先生の奥様のおばあちゃんが
お食事を作ってくれていた。
この食事が長女には
人の手をかけた何よりの
ご馳走だった。
ご飯を食べながら
おばあちゃんと話す会話は
地元の祖母を思い出し、
淋しくてたまらなかった生活に
リズムを取り戻せた。
 
親元を離れた遠い場所で
こんな温かい環境を
得られたことは
何よりありがたかった。
子猫が繋いだ不思議なご縁だった。

実は京都にご先祖様の一人の
お墓があった。
初めて京都の夏季講習に参加した時も
2人でお参りしたし、
予備校に入塾する時も
「どうかこの子をお守りください」
と、お参りしてきた。

幕末の混乱の時期、
九州より上洛し
長州藩と共に
尊王攘夷派として活動していた。
池田屋事件で生き残り
その後禁門の変で、京都御所の御門で
銃に倒れた。

長女が京都の大学に行きたいと
言い出した時に、ご先祖様に
呼ばれたのかなと思った。

いざ京都に来てみると
墓前にお参りできる、
お願いできる、
心の拠り所があることが
ありがたかった。

前年の夏季講習から
逃げ出した時も
奈良で画家の方の言葉に
助けられた。

そして
こうして思いがけない
出会いにも恵まれた。

御先祖様のかっての
ネットワークかも
しれないと思った。


10月になって、先生から
このまま子猫を抱えての
受験は無理です、
と連絡があり
ネムちゃんを
引き取りに行くことになった。

猫は苦手だったが、
長女の恩猫でもあるので、
覚悟を決めて迎えに行った。

初めてネムちゃんに会い
そっと手を出したら
両手を伸ばし柔らかい肉球で
挟まれた。
そのプニュプニュ感にやられた。

肉球に触ったのも初めてだった。

リムジンバスの中も飛行機の中も
ミャーと泣くことこともなく
ただ震えていた 
怖がりネムちゃんが
こうして長女の替わりに
我が家にやってきた。


浪人生活はまだしばらく続くのである。

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。