その先の未来を

できるだけ
テレビを見ないようにしていた。


コロナの報道を見ると
パフォーマンス的な対策に
振り回される状況や
自身の正義を振りかざす人たちに
怒りを感じてしまうから。



何かのトラウマかもしれない、
と思う。
強制されることに対して
昔から反発したくなる。


深呼吸して
抑えて
抑えて


そ、こんな時こそ
草取り。


お盆は忙しくて
できなかったので
やる気満々。


日陰を選んで

伸びてきた
草を抜いていると


イガイガのワタシガ
すーっと地面に吸い込まれて
無心になっていく。



そして、
思い出していた。


京都ご出身の知人と
庭の話で
意気投合して
いかに草取りが楽しいかを
話していた時、


彼女が
「草引き」
と、言ったのだ。


なんだか
美しく聞こえた。


そして暑中お見舞いの葉書に
再び、

「暑さ厳しきおり
 草引きもほどほどに」

と、書かれていた。

草を取りながら

「草を引く」

と、唱えて
草を引いてみた。


垂直に草の根本をつかみ
指先の一点に力を軽く入れて引く。


なんと見事に
根っこが
地面下に収まっていたままの姿で
するりと
ぬけた。


これが草引き?


草引きを体得した感じがした。


暑さで乾燥した地面の上の草を
ガリガリとカマで削る。
もしくは、
根っこがちぎれて
草の部分だけが取れる
そんなザッとした
草取りとは違って


草引きした地面には
綺麗な小さな穴が残っていて


もう何も残っていませんよ、
と伝わってくる。


この取り方では
根が残らず
きっと次に草が生えてくるまでに
時間があくのだろう。


草取りと草引き


丁寧な仕事の成果は
その先の結果が教えてくれる。


草取り一つでも
奥深いな〜と改めて思う。




そんなことを感じた午後。



HPでお世話になった
インタビューのお仕事も
始められて


ブログでご紹介した
クロノアユミさんの
紹介されていた。


アユミさんのお話を
聞き漏らすことなく
心にとめることのできる
ありがたさ。



その第二話が
ちょうどコロナについても
語られていたのである。


コロナにまつわる
マスク警察や
他県ナンバーの車への
仕打ちやら
なにやかにやに
憤りを感じていたから

身を乗り出して聞いていた。




「切り取られた情報」

フレームで囲まれた情報は
切り取られており
そこには意図がある。

その視点を持って受け取ること。


そして
マスクについて語られた一言が
ワタシの中に染み込んでいく。


「かって
 口を封じられてきた、
 言いたいことも言えず、
 口を開けば
 家族の命さえ危ぶまれる時代があり
 このコロナのマスクは
 その時代の書き換えでもある」


この一言を聞いた時に
わたしの中で何かが
カチッとはまった。


マスクの強要、
意図を持った報道、
流される民衆の心理
大義を掲げ
互いを牽制させられる状況。


この状況は
かって、どこかの時代で
嫌というほど
味わったことだと
感覚が蘇る。


気づきとともに
身体の力が抜けていく。






このコロナ元年という

古い時代の終わりの
始まりに


世界中にコロナウイルスという
風の領域の書き換えが
うねりのように起こり



国を閉じ、
やがてくる大きな嵐を
やりすごそうと
構えているのかもしれない。




「起きる出来事は
 全て恩恵なのである」



再びこの言葉が響く。



今の状況が不穏なものであっても
この流れにも
きっと深い恩恵がある。


この流れも
その先の未来に続く


必要な過程であり
通過点なのだ。



アユミさんの
言葉の一つ一つが
わたしの中の
かけていたピースを
埋めていく。


まるで
地面に足をつけて
ひんやりと湿った土が


わたしの不協和音を
吸い取っていくかのように



アーシングさながら
ブレていたわたしを
整えていく。



イマモ
ソノサキノミライモ

サイゼンノコトガ
オキテイクダケ



そう、信じられる。




わたし達は
ただ
毎日を丁寧に
粛々と。





草引きを体得した日、


わたしの日々も
常に最善であることを
改めて受け取る。





このライオンゲートのタイミングに
クロノさんのインタビューを
届けてくれた
ナオミちゃんに

大きなグッジョーブと愛を。



トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。