秋分のギフト

子供達がそれぞれの環境に戻り、
ホッとしたのも束の間。


先日のブログで
受けて立つ、
と書いたからなのか
火星が逆光の期間に入ったからなのか
なんだか
いろんな暗雲と思える出来事が
発生しつつある。


出来事だけ見ると

えええ、
いよいよ介護的な問題がっ。

とか

人手不足問題に頭を抱える、

と言った状況につながりかねない
暗雲で


以前だったら
常にこうなったらどうしよう、
ああ、どうしよう


と思考を巡らせてきた。



今はわたしの軸に
戻る術を知ってるから


「どうしよう」

がきたら


庭に出て
草を抜き
落ち葉をはいたり
溝に溜まった落ち葉を
掻き出したり。



そうしていると
いつのまにか無心になって


心の芯の部分は
意外と落ち着いている
ことに気づく。



この出来事は
どんな道に繋がるのだろう。


ジタバタしても
しなくても
事は運ばれていくし



そう、
日々を丁寧に粛々と
と、
わたしに言い聞かせる。



そんな最中
勧められた本があった。


最近は本を一冊を
読み終えることができなくて

開いただけ、
数ページ読んだだけ、


という本が何冊もあって
新刊2200円をポチるのも
ちょっと後ろめたさを持つ。


でも、一度忘れて
思い出した本だから


きっとイマに必要な言葉が
書いてある気もする。




「 0 ゼロ フォース   」
人類最大のチカラ Jomon Code(縄文秘力)
          千賀一生 著


フォースと言えば
スターウォーズが浮かぶけれど


これは
映画の世界の話ではなく
縄文の時代の基礎が
その実36200年前から
確立していた、
というところから始まる。


争いの跡のない
平和の象徴のような縄文の時代が
その頃から
現時代から2300年前まで
続いていたのだとしたら。


その秘密がフォースにあるらしい。



人類にとっての
フォースとは。


太古の遺跡として残る
縄文の遺跡には
ストーンサークルが
多くみられる。


その一見何もない中央の空間に
かっては
「HIKI」
と呼ばれる巨大な大樹が
神なる長老として
存在していた。



そのHIKIの眼差しは
時空を超える目であり
祖先と現世の人を結ぶ。


KIは木であり
氣であり
実をならすものであり
HI(火)をもたらすもの。


HIは霊であり
陽、光、日、火、緋でもある。

HIKIは大地の分身であり
HIの化身、

HIKIは地上における
宇宙空間である。

そしてHIKIからつながる

「HARI」

これが宇宙の本質力をもたらす
絶対的な力の場=フォース

万物にはHARIの形成力が
潜在的に備わっている。

一定方式のスパイラルによる
HARI空間の再結集と
人体HARIとの共鳴が
空間を変容させる
新たな力を強く引き出す。


HARIが母なる空間力として
HIKIとひきあい
スピンを起こしながら
回転していく時
軸が大黒柱としての父の存在になる。



現代に使われる言葉の中や
シンボルの中に残る
縄文の言語は
空間への力をもつ。

宇宙自体への共鳴から
生まれる力であり
言霊なのだ。


イマにつながる
様々なフォース言語には

「MA 」
  宇宙とつながる子宮空間      
  ( 母、間 )


 「MI」
   (MA・I  子宮空間に現れる存在としての神)


「HA」
  存在の中心から遠方へと広がる 
  遠心的な力と共鳴する 
( 葉、山の端、馳せる、愛、波、発、わたしHA、走る )


「HIの本質はHA」
  (HIとはHA・Iが、一音化した言葉)
「I・RUは存続(I)し続けている(RU)意味」
*HIKARI→HIKARU


「HARU」
  葉が瑞々しくより先端へと伸びようとする状態
  葉る→春 張る 愛(は)る


「HARA」
  その力が広く四方に及ぶ力
  中心なるものをRA音で表す
  腹は人体の中心なる場   へそ
  人体の中心軸エネルギーの
  最重要センター。
 原、腹、祓ふ
 

「HARE」
 神聖言語の核心でありHARIを
 形成するために空間に働きかける時に
 「E」という先天音を用いる。
 掛け声としての「エイッ」


「A・MA」
   最も初原なる母性空間
   始まりや言語を表す「A」
 天、海


などなどがあり

これらの一、二音の言霊の意味を
連ねて
縄文のスピリットは
何を伝えようとしているのか。



縄文の人々は
生命のエネルギーの源である
子宮空間(MA)の形態を
全てのものに投影していた。


それは山々に囲まれた
集落に始まり
それぞれの住居にも
子宮を逆さにしたような
円錐形に
大きなHIKIの象徴の柱があった。


そして人もへそを中心に
RAを中心に遠方に広がる力HAによって
軸とHARI(フォース)を形成している。



この部分を読んで

ひとのトーラス、
住居のトーラス
HIKIのトーラス
集落全体のかさなりあうトーラスを
感じていた。


軸から広がるHARI(フォース)の循環の拡大。


この循環の中で
生きることが
縄文のフォースの秘密なのか。



けれどそれだけでは
なかった。


私たちが季節の節目と捉える
冬至。

ここに大きな
ゼロフォースの秘密があった。



わたしたちの暮らしは年末に向けて
大掃除をして、
注連縄を新しくし、
新年を迎える準備をする。


この一年の終わりのサイクルは
実は
冬至に向けて行われてきた
儀式なのだと
縄文のスピリットは伝える。


それはHIKIと呼ばれる樹木を
見てもわかるように


冬至を前に
全ての葉を落とし
ゼロに戻る。


縄文の人々は
冬至を迎える儀式のために
その年使用した
土器もわざわざ壊して
埋設していた。


全てを無に返すのだ。


そして冬至の朝日の
荘厳なエネルギーのもとに
ゼロが1に向けて動き出す。


新しいフォースエネルギーが
万物に宿るのである。


HIKIの中に
新しい芽吹きの生命が宿り、
中心から遠方へと見えない部分で
HARIが形成され始める。


そしてこう語られた。

「万物は中心に向かう。
 中心は0(無)であると共に
 ♾(無限)でもある」

自然界には万物を永遠性へと
結び直す結び目が存在する。
それが冬至である。

この冬至を中心とした
サイクルを生きるとき
万物は
宇宙のHA「愛」とつながり
集合体の中で守られていく。




まだまだ伝えきれない
宇宙の真理や
そのフォースを使った高次能力の
発現についても
書かれているので
ぜひ読んでみてほしい。






この縄文から伝わる
神聖言語が
36000年も前から
現在に至るまで
縄文のスピリットととして
紡がれていたことに
改めて驚きを感じていた。
 

そして
この現代につながる
2000年間は
暗黒の時代で
中心に戻る本来のフォースが失われ
光を失いつつあるということ。


それは
 
 中心を忘れた化身は
 無限なる故郷を見失い、
 自身を満たそうと
 ひとり歩きを始める。

 このひとり歩きは
 子宮空間を乱していく。
 けがれの発生はそこから始まる。
 中心を失った力の成立を意味する。
 生きる上での原動力は
 思考ではない。
 思考のひとり歩きは光を失うことである。


たしかに現代は
肉体的にも
中心と呼ばれる軸を失って
心も身体もさまよっている
ように思える。



けれど
縄文の時代から
肉体を失っても
HIKIの大地に埋葬されて
祖先という魂たちが
HIKIという象徴をなくした
今もなお
わたしたちの中に
シンボルとして
言霊として
生き続けている、
 

そう感じると
わたしの中にも
小さなHIが灯っていく。



この数ヶ月で
わたしは私の思考や感情を
いい意味で信じなくなった。


好き嫌いや感情は習慣でもあり、
独りよがりな思考も
本来のわたしの思考ではなかった。



むしろ無心の中から
生まれる気づきこそが
ほんとうの意味の思考だと
感じてきた。



この本に書かれていた

集落の中心である
祖先の魂の宿るHIKI、
住居の中心で、HIKIの象徴である柱
 

その部分を読んだとき
深く納得したのだけれど


わたしの住む
この昭和初期の古いお家の大黒柱は
仏壇の横の柱らしい。


それは見るからに立派な柱でもなく
仏壇の横の普通の柱なのだけれど
家の中心に
ご先祖様を祀る場の
柱として立っている。


そして神棚には
没後50年をとうに過ぎた
神となられたご先祖様が祀られている。
そして榊が挙げられている。
 

大樹ではないけれど
住居の中心に
大樹のシンボルの柱と葉が
あった。


日々、中心に向けて
拝んでいた。


「受け継がれている」

そう思った。



畳の部屋ばかりの「MA」に
昔は辟易していた。


けれど
合理的なマンションで
暮らす時を経て
改めて感じる
この「MA」の生み出す
空間のチカラと
木のぬくもり


何人帰ってきても
横になる空間だけは
どうにかでき
受容力半端ない
「MA」


そしてご先祖様の「MI」ちびき。


今でも
わたしが草取りにハマるとは
意外だったと
わたし自身も思うけど
義妹にも笑われる。


でも
最初にわたしを動かしたのは
肖像画でしか
お会いしたことのない
義祖父だと確信している。

わたしの本質につながる近道を
自然に触れることで
伝えてくれたのだと。



わたしも縄文のフォースの中で
生き始めている。



ありきたりの日常だけれど
わたしも宇宙のHA(愛)の中に
生きている。


今はそう思える。



日常の中で起きる
さまざまな出来事、

わたしにとっての不都合も


それはHAの計らいで

わたしのHIを照らすもの

わたしはRA(中心)を忘れずに

日々を丁寧に粛々と

HAREと空間を動かし

冬至へ向けてゼロを目指そう。



冬至に向けての
3ヶ月間にわたる
大量の
落ち葉の掃除も

住居としての
「MA」のお掃除も
なんだか楽しみに思えてきた。



折しも秋分を前にして



中心に戻るゼロリセットの
冬至の深い意味と
縄文の神聖言語に触れ



わたしの中の暗雲の
存在すら
忘れそうになっている。




強引に解決を求めるのでなく



わたしのトーラスと
宇宙のトーラスを
重ねながら


ご先祖様と連なる
「MA」のチカラに
委ねていこう。



いつの日も「HARE」と
信じながら。

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。