ラブレター


「  その指の先の   」

 
                   
時折ベランダに出て夜空を眺めている


街中の夜空は薄い藍色
星の輝きもぼんやりで心許ない


マンションの9階から眺める星空は
足元が地についてないせいか、
空に吸い込まれような感覚になる


ふと怖くなり手摺りに手を置く


いつの間にかそばにいた飼い猫が
ミャと声を上げる


夜空には昼間の空にはない
ノスタルジーがある


広い空間の中で
自身の存在が消されていく感覚


ひんやりとした空気に
混ざりそうになった時に
思い出すものがある


綺麗に切りそろえた爪と指先

大きさを感じさせない白い手

仕事をしている時の
指先にこもった力

薄い藍色の空に
ほのかに浮かぶその手

 

夏目漱石の「夢十夜」の
作品のひとつに、
仏像を彫る運慶のセリフ
が印象に残っている


「木に埋まっている
   仏像を掘り出している」


その手を見ていると
その一節を思い出す


運慶ではなくても
その手は何かを生み出している



小さな器具を扱う繊細な指の動き


ドリップコーヒーに注ぐ
ポットを握る手


レコードを擦る人差し指


手に、指に表情がある




藍色の空に混ざりながら
その手を想う


どうしようもなく
心細くなった時にその手に戻る


めったにつながない
その手に包まれた時
ここに在る、と思う


その温もりに
自身の体温を知る


ほかのどんな手よりも
と書いて
他のものは記憶にないことに気づく


その手だけを
覚えている



手早く仕上げる仕事の手を

その手が選ぶ音楽を

その手がふれる頬の冷たさを


その指の先の
研ぎ澄まされた感覚を


薄い藍色の空の下で
深く呼吸をして
つながずとも
共に歩いていることを想う




時折ベランダに出て
夜空を眺めている


時間と距離が生む記憶の
その手の
その指の先を


心許なく輝く
星のように想う







昨年の今頃、
通いだした「文書の学校」の
2回目の宿題が
ラブレターだった。



当時
地元に戻る半年前、
地元に戻れば
通うことも難しいかもと
入校した。



最初の回で
「私を消す」ことを
教えていただいて
文書がとても書きやすくなった。



子育ての一区切りを前に
あれやこれやに
チャレンジして
ウキウキしてる私を他所に



仕事はピークを超えた感もあり
今からどう終わっていくのかに
意識が変化し始めた夫は
どこか
寂しげだった。



ちょっと年上の税理士さんと
お話していたら
男性にも更年期みたいな時期が
あるんですよ、
と言われた。

 
そんな時に
このラブレターの
宿題が出されて


夫を励ましたい気持ちもあり
つらつらと
書いてみた。



当時、
マンションの9階のベランダから
猫と一緒に
夜空を眺めていた。



何か一つシンボルを
と思えば


昔から
夫の手が好きだった。



大きくて指が長い。


小猿の手とからかわれていた
私の手が
本当にすっぽりと
包まれてしまうのだ。



その手のことを
思い出すと



不思議と
いろんなことをしている手が
映像で
浮かんできた。



しっかり記憶に
残していることが
自分でも意外だった。





結婚してから
子供達と書く
誕生日のカード以外に
手紙なんて
書いたことはなかった。





地元で
一緒に暮らしていた時の私は
「ねばならない」に縛られて
眉間の盾皺がくっきり
肩に力が入って
いつもかまえていた。



あのまま子供達や夫と
被害者意識を持ったまま
1人で戦っていたら



今も家族でいることは
難しかったかもしれない、
とも思う。



地元を離れ


子供との戦いに疲れ果て
自分を見つめ直す時間を作り


新しくできた
友人達と過ごす時間の中で


全く違う視点にふれ


いかに狭い鳥籠に
自分を閉じ込めて



そしてその中に
家族も閉じ込めようと
していたかに

だんだんと
気づいていった。



鳥籠を自分で開けたら


鍵もかかっていなくて。



籠に入っていなくても
世界は怖い場所ではなくて



心配しなくても
用心しなくても
きっちりしていなくても
ちゃんとしていなくても



安心と思えば
安心で


ま、いいやと思えば
それなりに進み



楽しいと思えば
楽しいことばかりだった。




やりたいことなら
どれだけでも
努力できる子供たちの姿を見て



無理やり
やらせなきゃいけないことなんて
何もなかった。



そんな経験を
たくさん積み重ねて




ようやく
ようやく




私もわたしのままで良し、
にたどり着いた。




そしたら
あんなに戦っていた夫にも
感謝の気持ちが
わいてきた。




でもよくよく考えれば



わたしにない所を
たくさん持っていたから



自然体で
カッコつけなくて


自分は自分の人だからこそ


魅力的で
羨ましくて



それなのに
いつのまにか
うまくいかない自分を


夫のせいにして



好きなところが
嫌いになっていただけで



そう思えば
やっぱり
とても大事な人だった。



あっという間に



知り合ってからは30年の
時を重ねて



今こうして
感謝と愛情を持って
手紙を書けることが


ありがたかった。




病めるときも
健やかなるときも


共に時を重ねていく意味。



その時々は
通過点で
なんとか息を呑んで
やり過ごしてきたことも
あったけれど


ふりかえると



どんな時も

地図のように
道は続いていた。



怒っていたわたしも
黙り込んでいた夫も



イマにつながっていた。





出さなくてもいいから
書いてみてほしい。


 

パートナーでも
子どもでも
愛情や感謝を伝えてみたい方に。




宿題として出なければ
私も
手紙を書くなんて
思いつかなかった。



書いてみると
頭の中で考えるより
指先は勝手に動いた。




表面に感じている
トゲトゲの感情を
しばし置いて



その当時の
ときめきや
好きだったところ



思い出すだけで、
なんだか
月日を飛び越えて



もっと素直に感じていた
身体の声が
言葉として
現れてくるかもしれない。




そんなワタシの言葉に
もう一度向き合って



今のわたしが
どう感じるのかを
味わってみてほしい。





そういう私も
手紙は恥ずかしすぎて
メッセージで
「ラブレターの宿題」
と、送ったら



大きな👍マークが
送ってきた。



伝えられたことが
ただ嬉しかった。





毎日は日常の繰り返し、
けれど
ただの繰り返しにするか
しないかも


本当は
わたし次第。



喜びも
哀しみも
奇跡も
魔法も



見つけるのはわたし。
起こすのもわたし。




いつもと違うエッセンスを
毎日の中に
少しだけ。



トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。