冬至を迎えて


12月21日冬至


昨日までと変わらない
いつもの朝だった。


あれだけ大掃除を冬至までにと
がんばってきたのに
冬至って22日あたりかな
と、思っていた。


朝のテレビで今日が冬至と知る。


我ながら
いつも詰めが甘い。




12月22日は
宇宙的に木星と土星が
20年ぶりに会合する
グレートコンジャクションが
起こる日である。


しかも約800年ぶりに
肉眼でその接近を
観察することができるらしい。


いよいよ水瓶座の時代、
地から風へとエレメントが変わる
扉の開く日なのである。




夫までもが
「22日がグレコンだよね?」
と、口にするくらい
一般的になっているのだろう。


グレコン、、、



夫の口から聞くと
軽すぎる気がする。




意識を冬至に向けて
大掃除をしてきたので


家の中の埃も汚れも
できるだけ祓い


もうすでに清々しい気持ちに
なっていたので


暦にあわせて
準備ができたことだけで
ありがたい気持ちで
いっぱいだった。



そんな冬至の日、


午前中の太陽の光が
あまりにも眩しくて
あたたかくて


その前週に聞いた
妹の言葉を思い出した。


「日本人は肌を出さないから
 骨粗鬆症になりやすいんだよね。
 骨粗鬆症にはビタミンDが必要なんだけど
 ビタミンDは太陽の光を浴びて
 作られるらしい。
 特にお腹に太陽光を当てると
 いいらしいよ。
 だから外人はよく裸で日光浴してるんだね」


その時、そういえばみぞおちあたりに
太陽神経叢ってのがあるよね〜
と、思ったのだ。


太陽神経叢に太陽を当てるって
骨粗鬆症対策以外にも
なんか理にかなってるんじゃ
ないかなぁ〜

と、
あまりにもあたたかな
眩い光を浴びて


廊下に座って
セーターをまくり
お腹の日光浴を
してみたのである。


側から見れば
すごく
間抜けな感じだろうなぁ、
と思いながら


誰も見てないことをいいことに
とうとう廊下に寝そべり
太陽の光を
直にお腹に顔に
全身に浴びていた。



ずっと日に当てていると
お腹はポカポカを通り越して
ジリジリと熱くなっていた。


10分くらい陽射しを浴びて
そろそろ起きだし
目の中をチカチカさせながら
雑用をこなしていくと


まるでお腹の中に
太陽が宿ったかのように
ポカポカと
いつまでもあたたかった。



冬至の太陽のエネルギーを
身体全体に浴びて
季節とともに生かされていることを
実感していた。



太陽があたたかな日は
こうして
赤ちゃんのように
日光浴をしてみよう。





そして夕方になり
日が落ちて
暗がりに星が見え始めた頃

 「ただ今木星と土星が
  再接近している様子が見えています」
とのお知らせをいただく。

エプロンをしたまま
外に飛び出し、空を見上げると
大きな星と小さな星が
寄り添うように
瞬いているのが見えた。


800年ぶりに
その会合の姿を見せてくれている
星々に


新しい時代の扉が開く
その瞬間に立ち会えていることを
感慨深く
両手を合わせていた。




現実的には
何か素晴らしい奇跡が
起きるわけでもなく


冬至の日も
グレコンの日も


日の出から
日没まで
淡々と過ぎていた。




ただ
わたしの中で
言葉にすることが難しいのだけれど


そう、
あの「ゼロフォース」の本に書かれていた


宇宙空間の間の中心にある大樹のような
「HIKI」のように

わたしと家の
中心の軸が
しっかりと太く重なりつつあることを
感じていた。


家とともに暮らしている
意識が常にある。



今日はここを掃除して、
明日はあそこでと
1週間のルーティンもでき


少しずつ少しずつ
家の中が整っていく。





そして昨日、
お世話になっている大工さんから
電話があった。



10月に
古い屏風の修理をしてくれるところを
お世話していただいていた。




家にあった、夫の祖父の
大事にしていた衝立や
書が
年数とともに
次々と劣化していた。




壁にかけてあった書も
一部分が破れると
乾燥や湿気にやられ
どんどん破損が広がり
修復しようにも
できなくなっていた。




古い由緒ある衝立も
子供達が小さなころに
破れに箇所に
指をいれて広げて
気がついた時には
表まで破れが
広がっていた。



当時は仕方ないと
捨てたものもいくつかあった。




でも
この屏風は
まだ裏側の襖紙だけが
破れていて、
今修理すれば
なんとか持ち堪えて
くれそうだった。



何より金紙のうえに
大きな竹と南天が描かれていて
繊細で美しかった。




畳替えをお願いした
大手の畳屋さんに相談しても
費用もかかるし受けかねると
断られ



どうしたものかと
思っていた時に
我が家のあちこちを
修復してくださっている
建具屋さんに
相談したら



「昨日のこと、
   表具屋さんの作業台の作成を
   頼まれたから
   その人に聞いてあげますよ」

と受けてくださった。




その屏風が
2ヶ月経って
綺麗に仕上げられて
戻ってきたのだ。



破れていた裏の襖紙は
新しく貼り替えられて
縁もしっかりと固定されていた。



ボロボロになりかけていた
屏風が
まさに息を吹き返して
生まれ変わって
戻ってきた。



屏風を
広げて
玄関に置いてみると



玄関の格があがる。



どこかの料亭みたい。




そうだ。



お座敷の隅の出窓に
ずっと置いてままのあの花瓶を
置いたら
似合うかも。



花台を置いて
花瓶を取りにいく。



なかなかレトロで
鶴や孔雀の描かれた壺を
屏風の前に置いてみた。



すると
なんともしっくり
落ち着くのである。



何気に壺を持ち上げて
底を見た。



四角の裏印の横に
朱色の文字で
「公◯」
と、夫の名前が書かれていた。


おばあちゃんに尋ねた。

すると
「そう言えば
 公◯がまだ小さい頃に
 お祖父ちゃんが
 公◯に残すものには
 名前を書いておくから、
 って言ってたのよ。
 その花瓶もそうだったのね。

 本当に眼の中に入れても
 痛くないくらい
 お祖父ちゃんは
 公◯を可愛がっていたのよ」



すっかり忘れ去られていた
花瓶の裏に
お祖父ちゃんの想いが
込められていた。



屏風が戻ってきた日に


この花瓶も
お祖父ちゃんの愛情とともに
屏風の前に誇らしげに
光を浴びていた。




玄関に飾られた屏風と
花瓶を見て

「もう正月仕様?」

と、仕事から戻ってきた夫が笑う。

 

「その花瓶の裏を見て。
 お祖父ちゃんがまだ小さかった
 あなたに残したいって
 名前を書いてあるんだって」



びっくりした夫も
慌てて花瓶の裏を見る。


「初めて聞いた」




驚きと懐かしさに
子供時代に戻ったように
50年ぶりにおじいちゃんの愛情に
再び包まれているようだった。
 



それは

まるで

冬至を迎えて


家の中でも
復活の儀式が
起きているかのようだった。






「  お祖父さん


    今年の冬至を迎えるに
    ふさわしく
    家は新しくなりましたか。


    お祖父さんの導きで

     嫁いで26年目にして
     ようやく
     ここが本当に
     わたしの家に
     なりました。


      今では
  寒くて古いこの家も
  広すぎる庭も愛おしい。


      それはきっと


  わたしが受け取った
  お祖父さんの想いです」





地から風の時代になっても
変わらず受け継がれていくのは



きっと
ひとの想い



なにを想い
なにを願い
なにを託されたのか



素直な心になって
その目に見えない「想い」に
ふれたとき


きっと
新しいわたしが生まれて


また
計らずとも


その想いを

誰かに

何かに


つなげていくのだろう。


トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。