風の時代
一昨年の働き方改革により
自営業の我が家の職場にも
大きな改革の風が吹いた。
10人以下の事業所であるから
就業規則の規定も形式的なもので
見直すこともなかなかなくて
その時々のスタッフの要求に合わせて
曖昧なルールで
世の中の状況に
合わせたきたつもりだった。
若手の入所により
有給休暇の消化も増え
それはそれで
受け入れていかなきゃね、
とは
思ってはいた。
ところが、
変化のスピードは
もっと早かった。
この働き方改革による
「年次有給休暇の5日取得の義務化」
に伴い、
今まで曖昧にしてきたルールを
スタッフから指摘されだした。
一昨年の秋である。
私も夫も
浦島太郎であった。
ろくに開きもしない就業規則と
世の中のルールには
かなりの開きが出てしまっていた。
社労士さんに相談に行き
現行法について
説明していただき
有給休暇の管理をしっかりするために
管理簿を過去からの
記録と照らし合わせながら
アナログで
なんとか作り上げたのである。
勤務日数、時間、
有給休暇と計画的年休付与を
今後こんな風に
取り扱います。
そこまでようやく
改善したつもりでいた。
どうにか翌年の始めには
1年間の出勤日とともに
計画年休の日程なども
決めることができた。
ホッとしたのも
束の間、
時はちょうどコロナ渦の頃。
夫の出張予定が
全てキャンセルになった。
通常より多く設定している
もともとは出勤日のはずの
お休みだからと
出勤日に戻したいと
ミーティングで話したら
夫はスタッフから
猛反発をくらった。
2ヶ月先の話では
あったけれど
もう予定があるとのこと。
その代わりに
半日の午後を
出勤にしたら、
と言う提案にも
同意を得なかった。
若い人、中堅の人
情報を集めやすい人が
盾を作る。
昔からのスタッフは
口をつぐむ。
こんなことは
初めてだった。
今までにない事例に
頭を抱えた。
以前相談した社労士さんも
他の案件で
手一杯とのこと。
そんな時
市役所の職員の方から
働き方改革に伴う
労働環境の改善に伴う案件に
社労士さんの
相談会を
無料で開催していますから
ぜひどうぞ、
と案内を受けた。
渡に船とばかりに
相談会に出かけたのである。
あとで聞けば
その日その一回限り
どなたかの代打で
来られていたという
なんだか飄々とした
社労士さんに
出会った。
その方は
元は大学職員の労務管理を
されながら
社労士の資格を取られたそうで
組合のある労務管理の大変さを
噛み締めてこられた方だった。
退職後、ご自分の事務所を
開設されたばかりでいらしたのだが
きっちり
労務管理を請け負うよりも
それぞれの職場の状況に応じて
働き方改革に則した
環境改善の
道筋を作りましょう、
というスタンスの方だった。
「就業規則は
その事業所の法律を作ることです。
最終的には
事業所の要になります」
そう聞いても
最初は
就業規則で
スタッフの立場を守る
ルールを作っているような
気がしていた。
毎週のように
今の問題点、改善点
規則の意味とその解釈について
話し合う。
その中で
一般常識的な
規則に関してさえも
自分の都合の良いように
解釈していたことが
いくつもあった。
そしてそれは
スタッフ側も
そうなんですよ、
と教えられた。
だからこそ
本当の意味での線引きが必要であり、
きちんと両者が納得できる
説明会を開催しましょうと、
言われた。
新しいチャレンジで
タイムカードも廃止した。
と言っても
タイムカードの代わりに
パソコンで打刻するのだが。
この勤怠管理のシステムは
浦島太郎夫婦のわたし達には
画期的だった。
アナログの私には
ついていけない
内容だったが
このシステムで
大学の職員の勤怠管理を
作り上げてこられた
心強い味方の
社労士さんが
うちの勤務体系に合わせて
システムを組み替えて
くださったのだ。
今思い出しても
先生がいらっしゃらなかったら
とてもとても
導入できなかったと思う。
元々このシステムの会社は
基本的にはチャットや
メールでしか
質問対応してしていないのだ。
(電話もあるがあまり繋がらない)
パソコンですら
用語がわからなくて
先に進めなくなる私には
到底無理な話だった。
この勤怠システムは
スマホで
シフトの希望や有給申請が
気軽に出来る。
そして
有給休暇の管理簿も
最初の設定さえ
きちんとできれば
自動で更新されていくのである。
また、
シフトを作ると
基本的にそのシフト通りに
勤務することが
契約となる。
今まで、パートの方に
「今日は暇だから先に上がっていいよ」
なんてことがあったのだが、
今後それは認められない。
シフトの時間より
早く上がってもらっても
そこは給料が発生する。
基本的には
シフトを組むことは
雇用主とスタッフの
時間の契約をしている、
ということなのだ。
スタッフも前もって
その時間を空けているのだから
一方的に変更してはならない。
もちろん、お互いの状況で
事前にわかっていれば
変更可能ではある。
10月の半ばに
社労士さんと共に
今回の改正の説明会を開いた。
営業時間と
勤務時間と
どちらもバランスよく
配分するには
何を軸にして働くのか、
が大事になっていく。
それが就業規則が
示すものになる。
そのバランスをとるための
改正として
大まかには
1ヶ月単位の変則労働時間制の導入、
それに伴う給与の締日の変更、
有給の時間単位取得を
導入した。
曜日で固定化していた
半日勤務を
週40時間を満たない
勤務日数の際には
フレキシブルに動かして
営業時間を確保する。
そのかわり
シフトを組んだ日には
シフト通りの給料を支払っていく。
そして今まで休暇の取得を
なんとなく、気持ち的にも
妨げてきていた
「皆勤手当」の廃止。
その金額のまま、
基本給に組み込むことにした。
最初は応戦体制の構えを見せる
スタッフの様子にハラハラした。
この会の趣旨の説明にも
ザワザワと反応し、
院長の説明の合間にも
質問の手が上がる。
でも院長の説明から
社労士さんの解説にバトンが渡ると
徐々に空気が落ち着いていった。
今回の改正は
仕事をする時間と
そうでない時間を
はっきりと分けていくこと。
働いた対価を
細かくきちんと支給されること。
そして
週40時間という
労働時間を確保することで
営業実績も上げていこう
という内容になっていた。
不思議なもので
就業規則の内容を
何週にもわたり
聞いていくと
雇用主とスタッフとは
どちらかが上でもなく
労働と対価という
契約のもとに
働く場を共同創造している、
そんな感覚になってきていた。
私や夫の中には
やはり
どこか奢りがあったことに
気付かされていく。
今まで遅刻や無断欠勤もなく
意識と責任を持って
勤めてきたスタッフ達に
このくらいは大丈夫でしょう、
と、世の中の流れに気づかず
甘えてきたのは
私達ではなかったのか。。
長く勤めている方は
開業当初から、
他にも20年、
15年と年数を重ねてきた
スタッフ達に
改めて感謝の想いが湧いてきた。
その会の中で
夫も
残業時間を
1ヶ月10時間以内にすることを
目標として
意欲を持って働ける
職場にしていきたいと、
話すと
最後には和やかな雰囲気で
会を閉じることができた。
その後、
時間単位の有給休暇を
導入してすぐに
スタッフの1人の中に
家族に入院者が出て
しばらくの間、
夕方1時間早く
帰らなければならなくなった。
申し訳なさそうにしている
スタッフが
タイミングを図りながら
その時間に帰ることは
難しいのでは、と
心配していたのだが
社労士さんは
「時間単位を1時間と決めて
申請したならば
その時間で帰れないことは
スタッフの問題です。
そこは割り切ってください」
と、言われた。
心配しながら
スタッフの打刻タイムを見ていくと
最初は10分以上遅れて
帰っていたスタッフも
徐々に
数分過ぎには
打刻して帰っていく。
なるほど、と思った。
シフトという
大きな軸ができると
人はそこに
意識を合わせていく。
そしてそのシフトに合わせた
営業体制が整っていく。
早くに決まっていた
1人の退職者が出ても
不思議とバタバタした
人手不足状態には
ならなかったのである。
なんだか
マジックを
見ているような気持ちになった。
10人以下の事業所で
就業規則もあってないような
状況で
その時々に
曖昧さを残し
割れ鍋に閉じ蓋的に
対応していた時には
次々に問題が起きていた。
けれど
この数ヶ月で
就業規則に意識を向けて
方向性が定まり
まるで規則として、
記された言葉たちが
立体的に動き出し
現象化する出来事の
壁を押し広げていくようだった。
社労士さんの言われた通り
バタバタと改正した
就業規則が
いつのまにか
要になっていた。
昨年から言われていた
冬至を過ぎて迎えた
「風の時代」
カリスマも
リーダーもなく
上下もなく
個々が輝いていく時代。
インターネットの普及で
人は
平等に情報を手に入れることができ
誰もが
本当は
選択の意志を持っている
ことに気づいていく。
システムやデジタル化の導入は
単に合理化することが
目的でもなく
情緒を切り捨てるものでもなく
職業を奪うものでもなく
あらゆることを
クリアに
開示していくことで
より自由な思考で
より自由な意志で
より自由な選択が可能だと
促しているのではないか。
きっと
この流れも
「風の時代」の象徴なんだと
そんなふうに思えた。
昨年からの
567のウイルスもまた
風のように広がり
一見、世の中が閉じてしまうように
感じるの状況のなかで
仕事の在り方
職場の在り方
学校の在り方
家庭の在り方
そして
個の在り方
今までの当たり前が
当たり前でなくなったとき
世の中の
価値観も大きく
変わり始めている。
この一年、
籠もって過ごしたように見えて
実は自由な時間をたくさん得た
夫は
大きな会の役目を降りる
決断をした。
自分の事業所を
閉じるまでの時間と
終わり方を
考え始めると同時に
これからは
もっと
自分を楽しむ時間を
作っていきたい、
と、考えたようだ。
閉じたように見える
世界の中で
自分の心の声に
静かに
耳を傾けたとき
新しい風の音が
聴こえていた。
春風とともに。
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