卒業制作展

すっかり忘れていたのである。


567もあったし、
長女の11月の大学院進学の
合格の発表で
安堵していたせいもあった。


卒業制作に入って
お正月も帰ってこなかったから


1月も半ばを過ぎた頃
「お母さん、来ないの?卒業制作展。
 4年生の展示は京都市京セラ美術館に
 展示されるんだよ」

と、連絡が入った時は
展示会を観に行く、という意識が
抜けてしまっていた。


567自粛真っ只中だったし

「うーん、ちょっと厳しいかな」


そう返事をしたものの
京都市京セラ美術館を
検索すると、

それはもう立派な美術館なのである。
歴史ある重厚な建物で



天井の高い
広々とした白い壁の
展示会場



2回生で観に行った制作展は
大学の暗い教室に
低い天井で。



その壁に所狭しと
並んだ作品たちに


上級生たちの
細やかな描写や
下級生の力強い作品たちに
感動したものの


展示する場所で
画もまた
格上げされる。


今年の長女の作品は
150×200cm
大作である。


日に日に行きたい気持ちが
高まる。


そして制作展の
1週間前には
夜遅くにLINEしても


まだ大学に残って
画を描いていた。


先生から指摘された箇所を
なおしているのだと。


その作業内容が
大変そうだった。


日本画は
板に和紙を貼りつけて
描かれている。


その和紙は
とても丈夫な
しっかりしたものらしい。


日本画の岩絵具は
油画のように
上から重ねて描いて
描き直しがきかない。


直したい場所を
洗うのだそうだ。


水に濡らしたタオルで
一度絵具を洗い落とし
乾かしながら


描き直していく。


今までは
描く手が早い長女は


自分の感性をなおされることも
好きではなかった。


描き込みすぎた作品を
直すよりはと、


もう一枚、新たに描いて
提出したこともあった。




今までになく

今回の長女には
粘り強さが
あった。






昨年の初秋に
初めて全国規模の公募展に
出展した。


今回と同じくらいのサイズで

京都五山の山々を遠くに

大好きな鴨川の流れを描いた。

自分なりに
新しい描き方を模索して

出展したその画は



賞に選ばれることはなかった。



サラリと落選を報告したから
そんなに心配もしていなかったのだが


本人は想いを込めた
作品だっただけに



しばらく落ち込んで
画に向かえなかったらしい。



どんなに画が好きでも
誰にも認められないまま
画を描いていけるのか。


そんな不安が
押し寄せてくる。


「画を描いて食べていけるように
 なりたい」


それが心からの願いで


バイトをしていると

自分の願いと
現実の違いを


思い知らされる。



そう言いながらも
キツキツの生活だから


最低限必要な分だけ
バイトをしてはいた。



この4回生で
初めて公募展に出展したのは


長女にとって


現実と向き合う
大きな
チャレンジだったのだろう。



画を描いて生きていけたら


画を描いて生きていく

にするために


現実を創り出す
スタートに
したかった、

のではないか。



その意気込みが
無惨にも砕かれた。



いつまでも
立ち直れず
落ち込んでいたそうだ。



でも
院試のために


もう1枚、画を提出しなければ
ならなかった。



「いい加減、自分に向き合ってないで
 画と向き合え」

教授から喝を入れられて



再び

鴨川と向き合う。




鴨川はきっと

長女の心を映す鏡だったのだろう。



浪人時代も
幾度となく川辺を歩き、
身体を動かしたくて走り、



川辺を自転車に乗って
家庭教師の先生宅へ
通い


夏になれば
鴨川で水遊びをして



晴れて両思いになった
彼とも
鴨川を歩いて
下鴨神社にお参りした。




この6年間、
京都の中心に流れる
この川ともに

歩いてきた。



その鴨川を

その流れを

その柔らかさを

その癒しを、




ただただ素直に映した

鴨川を

描いた。



その画が写メで送られたきた時



なぜ川がテーマなのか
わかる気がした。


半透明な
水の流れに
川底を覗かせながら


周りの木や山々の風景を写し込み

空の青さや
曇りの重さも

日々の明暗すらも

移りゆく景色として

ただただ流していく。


流してみせる。



その一瞬を
捉えてみたかったのではないか。



技巧的ではなく

その捉えたいという
想いが

伝わる画だった。



「自分の表現したいものが
 やっと少しつかめた気がする。
 この感覚を持ったまま
 卒業制作展に
 向かいたい」


そう言って
正月も返上して、


大学生になって初めて
地元にも戻らず
京都で
お正月を迎えた。


そして制作の途中に送られてきた
画もまた



鴨川だった。




そんな卒業制作を
やはり見たい、
見なければと



制作展の
1週間前に京都行きを
決めた。


ありがたいことに
京都の567の患者数も
日に日に減っていた。



京都市美術館に
搬入をする前日には
徹夜で
画を仕上げたそうだ。



1枚の画に
これだけの想いと時間を
かけたのは


おそらく

初めてだったのではないか。



そんな搬入の翌日

思いがけないことが起きた。



長女の画が
学内の教授たちの選考で
大学に貢献された
日本画の教授の名を
冠した
賞をいただいたのだ。



何も知らず展示会場に向かった
長女は

とても驚いて


その場で
泣いてしまったそうだ。



2年前に
2人で学内の制作展を
観て回っていた時に


受賞の画は
やはり格別で

いつかこんな画が描けると
良いね、

話していた。


長女の画にも


あの、
先輩方の画のように

展示された画の横に

小さな縦長の紙が貼られて
〇〇賞と

書かれているのだろうか。



胸がいっぱいになる。



「本当に頑張ったんだね」



いろいろな景色が
頭を巡る。


高校3年で
初めて参加した
京都の
夏期講習の模試を放棄し
奈良まで出かけて
個展開催中の画家の方に出会い
励まされたこと



浪人2年目の夏に
燃え尽きて
大学に行く意味がわからないと
願書を出さないと言い出したとき
(いざ京都へ!浪人時代③)


画が描けなくなったと
大学に行かず
2ヶ月引きこもっていた時期



その時々に

ジダバタと
悩み、もがき
落ちるだけ落ちて


最後の最後に


いつも誰かに

そっと
背中を押されて


歩き出す。




繰り返しにみえる
日々の道のりも
決して同じものではなく


緩やかな螺旋を
ずっとずっと
登ってきたのだと


改めて、そう気付かされる。



そして
ようやく

新たな頁が開きはじめた。





夫もおばあちゃんも
大喜びだった。


おばあちゃんからは

わたしも本当は観に行きたいけれど

と、ご祝儀袋を預かった。


当日、

青空の下の
制作展の会場は
本当に素晴らしかった。


歴史的な建物が多く残る
この京都の街の


「残していく」
という

意志が力強い。



外観を壊さず、
補強をデザインに組み込み


狭い場所からの
大きな拡がり
 

本来外部に晒されていた部分を
内部に取り込み


こんな観せ方と
残し方があるのかと

唸らせる。




その建物の中で


4回生と院2回生

学生たちの作品が
堂々と展示されていた。


日本画、油画
陶芸、漆工、染織、総合芸術


4年間、6年間学んできた
学生たちの
集大成の作品が並ぶ。


当日館内監視の担当だった長女と
私に付き合って
一緒に回ってくれた彼氏さんも
作品と一緒にカメラにおさめた。




一枚だけの大学の壁に立てかけた
写真と違って


その画はその場所で
活きていた。



「carve」
と題されたその画は


鴨川をより小さく切り取り

水の流れが
そこに流れ着いた石に
ゆるやかによりそい、

かってはとがりのあった石が
少しずつ柔らかく
削られて


水とともに曲面を
創り出していた。





大きな会場にも負けず
しっかりとそこに


主張していた。



水と石だけの世界。



深くも淡くも彩る水のブルーと
浮き立つ
石の陰影。



それはとても潔よい作品だった。



潔いだけに
難しかったのではないか。


しかし
並んだ作品の中で

潔さゆえに
際立っていた。


会場の真ん中に展示されてた画を前に


長女も誇らしげだった。




その画を
写真に
撮ってくださっている方がいると


ソワソワしながら
勇気を出して


慌てて作った名刺を
渡しにに行く。


「自分の画を
   もっと知って欲しい」



長女の
その
あふれ出る想いに



どうか
どなたかの心に響きますように




後ろでそっと手を合わせていた。






この制作展に
浪人時代にお世話になった
2人の家庭教師の先生方も
来てくださった。



1人の先生は涙ぐみながら
受賞を喜んでくださった。


もう1人の先生は

「僕にはこの画は描けないなー」

と、感想を述べられた。

建築士の資格もお持ちで
数学の大学講師もされていた
先生は
絵心もあり


「繊細な日本画なら
 僕も時間をかければ描けると思うけど
 この画の終着点が
 僕にはわからないから
 こういう画は描けないと思う。

 そういう意味では
 大物だよ、君は」 

そして、
しゃがんだり
四方から画を眺め

「ちゃんと川が流れているね」

と、笑って帰られたそうだ。



長女にとって
知人のいなかったこの京都で


家族のように親身になって
接してくださった
先生方だった。



ここまでの日々に
何かひとつかけても


たどりつけなかっただろう。




翌日、
京都のご先祖さまのお墓にも
受賞のご報告のお参りをした。





春からは大学院生だ。



あと2年
学べることは貪欲に学び

自分を磨き
表現を磨き


表現したその画を
言葉を紡いで

画とともに伝える。

 

そして自ら
その場を創っていく。



これからの刻に


身震いをしながら
背を伸ばす長女の背中に

 

静かな

蒼い炎が

灯っているようだった。



庭で見つけた
リュウノヒゲの
青い実

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。