悦びに生きる
毎日がかけ足で過ぎていく。
昨年のコロナ渦の中で起きた
1番の大きな変化は
夫の自由時間の倍増だった。
週の2/3は会議、宴会で
留守ばかりしていた夫が
私の地元に戻る頃から始まった
コロナ自粛により
会議は延期で全く開催出来ず
毎日夕飯が済むと
会議の準備や
雑務に追われることもなく
ぽっかりと時間が空いていた。
でも人間はすぐ慣れる。
閉まったジムの替わりに
夜のウォーキングを始め
自分の好きなように時間を
使えることが
快適なことを知る。
テラスの椅子を塗り直したり
観葉植物の手入れをしたり
普段なかなか手が回らないことを
始めると
夫は心も身体も軽やかになっていく。
ちょうど次女も東京出発が延びて
ふてくされていたので
テラスでランチや
庭で焼き鳥など
サービス満点で
楽しいおうち時間を
過ごさせてくれていた。
次女が出発したあとも
庭仕事、インテリアの補修などに
ハンズマンに通い詰めては
大きな鉢や、土を買ってきて
精を出していた。
そんな時だった。
我が家の敷地内に貸家があって
ご家族5人で住まれていたのだが、
この度ご自宅を新築することになり
年内に引っ越しをします、
との報告を受けた。
元々知人でもあり、
ご結婚予定で
住む家を捜されていて
たまたま飲み会で
その話を聞いた夫が
親戚一同が集まった時に使っていた
我が家の敷地内の古い家を
酔った勢いで
「うちに住めば?」
と口をすべらし
それから大慌てで
私とおばあちゃんで
家の中を片付けて
借家にした家だ。
それから
7年間の間にお二人には
子供達3人も生まれて
かっての我が家同様
大賑わいな子供たちの声も
聞こえてきて
この地を賑やかしてくれた。
その貸家が空く。
夫にはピンと閃くものがあった。
コロナで空想の時間は
膨大にあった。
かねてから
地元愛の強い夫は
この地をかっての賑わいに
戻したいという
熱い想いを持って
地元の小さな商店街の
繁栄会にも顔を出し、
地元で開く映画祭にも
参加して
たまたま隣の歴史ある和風建築を
維持するための
NPOも引き継ぎ運営したり
自分でも
音楽のイベントやら
地元の
花火大会にかこつけて
DJと屋台のイベントも
仕掛けたり
この街の再興のためならば
どこまでも〜
と活動してきたのだが。
そうそう街の賑わいにまで
つながる催しを
続けていくことは
難しいかった。
けれど
今回の閃きは
今までとは違う。
かねてからの
自分自身のやってみたい!を
実験⁉︎実現⁉︎する
またとない
機会になるのではないか。
そして
もしかしたら
街に人を呼ぶ
小さなひとしずくにも
なるやもしれなかった。
もうその計画を思いついてからの夫は
わくわくが止まらない〜
感じで
歩きながらでも
ミュージカル風に踊り出すのでは
ないかと思うくらい
浮かれていた。
元々
生粋の
インテリア好きなのである。
知り合った頃
趣味は模様替えと言っていた。
そんな夫が
これから空く
古い貸家で
閃いたのは
もちろんただの貸家では
なかった。
話を持ちかけたい
相手がいたのである。
その方は
5年前に
イタリアンレストランをオープンした
この地を1300年前に開拓した方を
ご先祖に持つ
オーナーシェフだった。
地元の地名を苗字に持つ彼は
正真正銘の地元の名武将を祖先に持ち
長くこの地に姓をつないできた。
更に
この小さな地元の街には
もったいないくらいの
腕を持つシェフだ。
遠くは関東からも
シェフのイタリアンを食したいと
グルメさんたちを虜にするなかで
以前から
遠くから来てくださった方に
気軽に泊まれる宿泊施設を
作りたい、
と言うお話をされていた。
奥様も
若い頃からホテルで働き
いつか将来はレストラン併設の
オベルジュをしたいのだと
夢を楽しげに話されていた。
この地を盛り上げるためにも
この場所で
レストランを続けていくと
高い志の
オーナーシェフと
地元愛が結ぶ
夫に取って
言わば同志の
このご夫婦に声をかけずに
誰に言う〜
と、言わんばかりの勢いで
まだ貸家が空いてない
時期ではあったのだが
夫の頭の中では
レストランの
宿泊施設の構想が
どんどん膨らんでいた。
最初に名前が決まり、
古い蝋燭を立てる灯籠のような
木枠にプラスチックに宿名を
プリントしてはめ込み
なんと看板を兼ねた
照明まで作っていた。
更に
照明の看板と
同じ宿名の入った
キーホルダーも出来上がってきた。
1人でどれだけ走るんですか〜
まだ
オーナーシェフにも
奥さんにも
伝えていない時期の話だ。
そして、ある日
「今日、伝える」
と、言うもんだから
2人していそいそと
そのレストランへ
食事に出かけたのだ。
その時の夫のソワソワした
嬉しそうな顔は
いまでも忘れられない。
ポケットには
宿名のついたキーホルダーを
握りしめて
「我が家の貸家を
宿泊施設にしませんか?」
貸家の
中身はかなり古いのだが
夫はオーナーとして
自分のイメージで
ある程度のリニューアルをした上で
レストランオーナーに
宿泊施設として
貸し出すことを提案した。
オーナーもビックリされた。
そして慌てて
奥様を呼ばれた。
「うちの貸家を宿泊施設に使ってください」
と、夫が民泊の宿名をいれた
キーホルダーを差し出した。
奥様は寝耳に水のびっくり話に
目をくるくるされながらも
「本当に⁉︎
すごい!嘘みたい。
若い頃からの夢だったんです」
と、目をうるませながら
まだ中身も見てないうちから
差し出したキーホルダーを
大喜びで
受けとってくれたのだった。
それぞれの夢が
重なり合う瞬間だった。
あとでわかったのだが
夫も彼女もお太陽星座が牡羊座で
運命共同体だったのかもしれない。
さてさて、
それからしばらくして
借主さんが引っ越しされた。
ちびっこギャングたちには
捨てきれずに取っていた
我が家の子供達の愛読書の
怪傑ゾロリの本や
パズルやおもちゃを
たくさん持っていっていただいた。
昨年の冬だった。
こうして
まだ改装前の貸家で
みんなが夢をふくらませながら
この古い小さなお家が
どんな場所になっていくのかを
週一回の会議をしながら
具体的な話を
決めていこうと、
レストランと提携した
民泊計画が
スタートしたのだ。
夫にしてみれば
自分の理想のイメージで
今までに収集した
家具や照明も
宿泊施設で
使ってもらえる
またとない機会になった。
人が集い
出会う場所。
そんな場所になれば
そんな場所を作りたい
社会を閉ざした
コロナのおかげで
夫のやりたいことは
より鮮明になっていた。
ひっそりとした
この地を訪れ
美味しい物と
柔らかなお湯にひたり
口福と癒しと
ゆるやかな時間に
静かな悦びで満たされる
そんな場所にしたい。
毎晩、
空き家になった家に
使っていないソファーや
テーブルを運びこみ
アジアンな音楽をかけなから
この宿のイメージを
作り上げていった。
友人や
家族と小旅行に出かけ
自分の家とはちょっと違う
こじんまりとしながらも
小技の効いた
くつろげるお部屋があって
多少の賑やかさも
心配のいらない場所で
日常を離れ
テラスに出れば
異国に来たかのように思える
お庭を眺めながら
深呼吸して
美味しいお酒を飲む
のんびりと過ごす
豊かな時間が
旅の1ページとして
記憶に残す場所になれば
そんなイメージを
詳細にわたり
お部屋の中に
反映していったのだ。
本格的に寒くなる前にと
庭作りのために
芝生も自分で
植え込んでいった。
やるとなったらどこまでも
イメージの再現に
妥協を許さず
庭の真ん中の
大きなプラタナスの木があって
その木を
シンボルツリーとして
両脇に
アジアの銅像を置きたいと
思いついた。
以前から懇意にしている
アジアン雑貨や店舗設計を
されてる方に相談すると
県外のカフェの庭に
設置されているものを
格安で譲っていただけることになった。
ただし、重さが半端ないので
石像は格安だっだが
クレーン車での
搬入となった。
今回のリニューアルは
大がかりな物ではなく
使い勝手とイメージ重視の
照明や配線追加の電気工事、
古くなった作り付け家具の
意匠変更や
壁紙などのやり直しなど
小規模なものだった。
予算も上限をきっちり区切った。
夫がいつかこんな日のためにと
貯めたヘソクリを
渡してくれた。
いつもは
苦手な計算もなんのその
購入するもの
工事を依頼するもの
細かく分けて
小さな造作工事で
自分でできそうな物は
休みの日に
ペンキで色を塗ったり
電動ドライバーを駆使して
格好良さげに
工夫していた。
こんなにイキイキしている夫を
見たのは
いつ以来なのだろう。
仕事を終えた夜に
また貸家で作業しても
疲れすら見せず
意気揚々と
楽しんでいた。
「今、悦びの人生を生きている」
そんな風に見えた。
このコロナの先の見えない時期に〜
怪訝に思う人もいるかもしれない。
でも
人生のここってタイミングは
きっと自分にしか
わからない。
ずっとやりたかった
その想いも
知っているのは
自分だけなのだ。
子供達も
あと数年すれば
自立していく。
何かを始めようと思った時に
今日が一番若いのなら
今が一番瞬発力もある。
ここって決めた夫は今
瞬発力の固まりのようだった。
夫のその勇気を
その悦びを
どんどん応援したくなっていく。
大きな成功を
望んでいるわけではない。
ターゲットを絞るとか
マーケティングがとか
目標設定とか
コロナのおかげで
世の中の動きも
人の動きも全く読めない中で
そこにばかり
重きをおいても
仕方がない。
この雰囲気を好きな人が
気に入ってくれる人が
時々足を運んでくれて
そんな曖昧な目標でも
それでも
こんなに心を悦ばせている夫と
宿泊施設の準備を始められて
忙しく動き回りながらも
夫同様キラキラ輝く
レストランの奥さまを
見ていると
「きっとうまくいく」
そう思えてしまうのだ。
とはいえ、
春先からの
再びの緊急事態宣言には
飲食店や旅館業には
立ち直れないほどの打撃で
地元には
更に人影が少なくなった。
有名店であるレストランにも
辛い風の吹く中
あらゆるチャレンジを続け
ようやく
ようやく
宿泊施設としての
認可がおりた。
夫のバトンを受けた
彼女の想いが
成し遂げられた。
あの日の閃きから
まもなく一年になる。
目に見えないコロナという
ウィルスに怯え
世の中が閉ざされ
移動もできない状況の中で
1人で静かに過ごす時間が
心の声につながり
いつしか
かねてからの夢に向かって
スタートを切っていた。
昨年の春には
想像もしていない
現実が
イマ、動き出している。
父親の本気の取り組みを
春休みの子ども達にも
披露する。
工夫したところを
「すげ〜」と
褒められると
なんとも言えない
得意顔。
高齢化と
人口減少のスピードが速い
この街に
1人でも多くの人が
立ち寄り
「また来たい」
と思ってくれたら
きっとそれは
我が家の子供たちにとっても
この地が
誇れる小さな街に
育っていくだろう。
想いがバトンになって
受け継がれていく。
イキイキとした夫の
悦びに生きる姿は
これからを生きる
子どもたちにとって
何よりの
ギフトかもしれない。
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