言葉のチカラ


体制は整ってきた。



昨年からの働き方改革を受けての
就業規則の見直し、改正で
人手不足は続いていたが
事業所の雰囲気は
以前よりずっと良くなっていた。


明るい笑い声や
活気のある声かけが
聞こえるようになっていた。



5月には育児休業中の
スタッフが一年ぶりに復職して
戻ってきてくれる。 


でも、
もう1人、
正規の専門職のスタッフが
採用できたら
もっとスムーズに
仕事が流れ
有給休暇も取得しやすくなる。



それはこの数年間
切実に願っていることだった。



新規スタッフ採用に向けても
職場環境を
更に充実
させようと考えていた。


そして
以前から気になっていた
退職金制度にも着手した。


それは開業当初から
在籍しているスタッフと
20年近く勤務しているスタッフが
二人ともパートであり
退職金制度は正規スタッフのみが
対象になっていたからだ。


15年勤務の正規スタッフを
はじめ、

正規スタッフよりも
1日休みが多いだけで

人手が少なくて
とても大変な時期も
この3人が必死で支えてくれて

なんとか持ち堪えてきたことも
思えば

この事業所を閉じる時に
功労者としてでも
1番に
退職金を渡したい人たちだった。


加えて
短時間のパートの方も

新卒から入って
一度は結婚して退職したものの
出産後に
人手が足らず
お願いして
戻ってきてくれたのだった。



考えてみれば
正規スタッフ、パートスタッフ
みんな
責任感も強く
一緒に支えてくれてきた
かけがえのない
メンバーだった。


社労士さんとも
相談しながら

中退金の制度を利用して

正規、パートに関わらず
全員に
退職金を支給することを決めた。


勤続年数に応じて積み立ての金額を
考慮しながら決めた。


これでここから1年以上経って
スタッフ達が
何かしらの事情で
退職していくことになっても


きちんと規定の
退職金を支給することができると
思うと
安心だった。



それから
悩みに悩んだもう一つの事案。


長い間、
人手不足ゆえに
有給休暇を消化してもらうことが
できずに
苦肉の策で続けてきた
有給休暇の買取制度を
廃止することにした。


国が有給消化を推し進めるなか、
この制度がある以上は

いくら計画年休を
取得させても
それ以上の権利を認めて
有給消化を勧めていくことが
難しいように思えた。


今までは有給の買取して
春に年度末手当として
支給していたのだが
その制度を廃止して


そのまま年度末手当だけ残し
手当として一定金額を
支給することにした。


それは
スタッフの年収が
減収になることがないようにと
配慮してのことだった。


ここまでの結論を出すまでに
社労士さんとも
いろんな面から
検討した。

1番の懸念は

有給の買取制度を廃止したら
それこそ皆が自由に有給休暇を
取り始めて
業務に支障が出るのではないか

ということだったのだが


パートの方達も含めた
退職金制度の導入、
年度末手当を継続して支給する


この2点の
スタッフにとっても
メリットになる
制度の改正を同時に行なうことで


スタッフ達の
仕事に対する
モチベーションを高め
協力体制を要請していくこと


これまでの
経緯も含めて
スタッフを信頼しよう、


という前提のもとに
年度替わりの4月より
改正することにした。




そしてこの件に関しての
説明会を3日後に予定していた日に

社労士さんより連絡が入った。


「国の推進している
 同一労働同一賃金の規定が
 来月四月より
 中小企業にも適用されるようになり
 その取組みされている企業を
 取材させてほしいとのテレビ局からの
 依頼が社労士会にありました。
 ちょうど御社の退職金制度の
 パートの方達へも拡大するという事案が
 そこに当たるので
 ご紹介したいと思うのですが。」

びっくりした。


そんな制度が
4月から適用されることも
わたし達は知らなかったのだ。



この社労士さん
実はなかなかのやり手さんで。


前回の就業規則の改正時も


勤怠管理のシステム導入により
残業管理や有給申請が気軽にできるように
なったこと、
時間単位の有給や
変形労働時間制の導入して
説明会を開催したことなどを


国の推進する働き方改革の
グットプラクティス事例として
申請してくださり


年末の新聞の全国版ページに
大きく掲載されたのである。


そこからの
今度のテレビ取材だ。

「今度こそ、新規スタッフの採用に
 つながると良いですね!」

そう言われると
これは格好の求人広告になるのではと
その気になる。

スタッフもOKしてくれたので
取材を受けることにした。


多少の緊張の中、
赤ちゃん連れの
育児休業中のスタッフも参加してくれ
終始和やかな雰囲気のもと


新しい制度の説明会が
開催された。
 

何よりも嬉しかったのは

長年勤めてくれてきた
パートのスタッフが
テレビの取材を受け、

退職金制度の導入に関して
とても嬉しいとのコメントを
聞けたことだった。


気になりながらも
先延ばしにしてきた
制度をようやく整えることが
でき


たまたま
世の中の動きと
タイミングがあって


この機会を得たことも
ありがたかった。



更に驚いたことに
翌日には
県内の新聞社からも連絡が入り

同じ内容で
電話取材を受けた。



なんだこの勢いは!

というほどの
後押しの風を受けて


取材のテレビが放映されたのも

新聞の記事が掲載されたのも


4月1日の夫の誕生日だった。


朝、
新聞を開くと

説明会の様子が
大きく新聞に掲載され

夫もまんざらでもなさそうだった。



同じ日の夕方のニュースでは
4月から変わることの1つの事例として


同一労働同一賃金規定の
中小企業の取組として

我が事業所の制度改正の
説明会の様子と
開業当初から勤務しているスタッフの
インタビューが放映されたのである。


なんだか
お祭りのような1日だった。




何かが
動き出している。


そんな気がしていた。


スペックの当麻紗綾ではないが

「高まるっ」

と言いたくなる
衝動というか


遠くから聞こえる
ドラムロールのように


たしかな
前兆のような気がしていた。



そしてその日から2週間。




きたのだ。


とうとう。



そう、

求人の問い合わせが。



4年ぶりに
専門職の
正規スタッフの
面接希望の問い合わせだった。



夫も私もガッツポーズだった。


まだ何もわかってないのに、だ。


どこかで確信していた。


「きっと決まる」



紹介業者の話を聞いて驚いた。


なんと関東から
お嫁に来られた方だった。

そして、すでに
数社の面接を受けている。

そして、今回面接を受けて

その数社の中から
決めたいとのこと。


翌々日に
面接に来られ


業務内容も
1時間ほど見学された。


お話を伺うと
以前関東で勤めていた
事業所と
業務内容や規模が
似ていること


企業理念が
「調和」で
同じだったそうだ。


夫も手応えを感じていたようで

とんとん拍子に
話が進み


3日後から
勤務していただけることになった。



スタッフ全員が
大喜びだった。


皆が前を向いて

明るい未来を感じていた。




感嘆のため息をつきながら



こんなふうに

ピースが埋まっていくんだと



しみじみと感じていた。




こんなふうに


意識が
具現化するのだと。




長い

長い

道のりだったけれど


少しだけ具現化のコツが


わかった気がした。



願いは祈りだけでは
動かない。


具現化するためには

こうしたら良くなるのでは?
感じることは

納得のいくまで
やってみることだ。



一つずつ確実に、
ピースを埋めていくこと。


それは
自分の中に確信という
柱を建てる
作業みたいなものだった。


もちろん
意識だけで確信出来る人は

それで大丈夫。



でも
私達の中には
こうしたら
より良くなる、
たくさんあった。



昨年からの

勤怠管理システムの導入と
就業規則の改正と
今回の退職金制度の改正、
有給休暇の買取廃止
など

国の推進する
働き方改革に大きく近づけた。


今となっては

制度としては
引けを取らないと

胸を張れる改善をしたと
思えることが


外から見ても
働いてみたいと
思える場所に近づいたのだろう。




本当は
不安もいっぱいあった。


中退金の積み立ては
ずっと払えるのか

年度末手当をパートも含めて
全スタッフに
毎年支給できるのか

皆が一度に有給取得したらどうなるのか



でも

決める ことは



覚悟する ことだ。



払えるのか は 払う 

になり

支給できるのか は 支給する

になり


有給取得は
スタッフの人数が揃ったから 
調整しながら取得可能になっていた。



決めたからには



そう動いていく。



そう信じていく。





それは就業規則を
改正した時にも

感じたことだった。



拠り所となる


規則の、


文章の、


言葉の


チカラ だった。



想いを込めた言葉は

チカラを放っていた。




社労士さんに
新規スタッフの採用を報告しながら

「まるでウチの事業所のために
 お嫁に来ていただいたような
 気がしてるんです」

と、言ってみたら

「きっとそうだと思いますよ」

と、真面目な顔で応えてくださった。

その言葉と同時に


頭の中では
ルービックキューブの
最後の色が


カシャカシャという音とともに
綺麗に全面揃っていく。


そんな映像が浮かんでいた。



この春、

開業した26年前に
植えたシンボルツリーの
ハナミズキが咲かなかった。


庭師さんによると
ハナミズキは突然枯れるのだと。


でも
マヤで言う26年が
人生の大きなサイクルであるように
ウチの事業所も
1つのサイクルを終えて

新生する時期を迎えたのだと思えた。



新しいシンボルツリーは
山法師

また
ともに過ごしていこう。


一年がかりで実現した
山砂を入れた裏庭

これも
文章のチカラなのかも。



トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。