優しさ最強説

梅雨の頃だった。

「優しさなんてなんの役にも立たない」


そんなセリフを若い子が
つぶやいた話を伝え聞いて

そのセリフがずっと心の中で
ひっかかっていた。



たしかに世の中は優しさより
賢さや強さをより評価している。


でも
優しさに価値がないと
思わせたその背景や

感情を思うと
せつなかった。


そんな時に

武田双雲さんの
「優しさ最強説」と銘打った
動画を見つけた。


動画配信のさわりの部分の
紹介動画で話も途中で
終わるのだが


なんだか心強い味方を
見つけたようで
嬉しかった。


優しさの介在しにくい世の中だけれも
優しさを極めれば
つきぬければ


絶対なんでも上手くいく、


そう、力強く武田双雲さんは
言い切っていた。


僕なりのやさしさの定義がある、
と。

「やさしさの定義」

考えたこともなかった。


優しさを求められることは
多くあっても

優しさと思われる
行動を取ることだけで


それが優しさなのかも
実はわからなかった。


武田双雲さんの動画をいくつか見て

優しさとは

信じることではないか

と、感じた。



相手の辛さや哀しみに
寄り添う時も

このことによる
気づきが在ることを

ともに信じること。


子育ても同様で、


辛い学びや苦い経験も


どこかに通じる道だと


否定しないこと
信じること


手を貸す、
力を貸すは
その延長で


まずはその人の力を
信じること。


そしてそれは
自分に対しても同じで


自分に優しい、ことは

自分を信じられること。



大きく手を広げなくても

わたしの手の届く範囲で

優しい自分でいたい。

優しい自分でありたい。


優しい世の中であってほしい。



そんなことを感じていたとき



仕事をずっと頑張ってきた方たちと
話をする機会があって。


常に技術を追いかけて
技術を磨いてきたその方が


年齢とともに
技術を身につけることが
難しくなってきた、

という話になった。


技術を追いかけていない
私ですら

指や膝の関節に
日常の動作に
支障を感じているから

大きくうなずく。


年齢というものと
嫌でも向き合う時が来る。


技術の向上が追えなくなる時

誰もが
自分の未来に不安を抱く。



それでも

長い間
磨いてきた
技術以上の経験が在る。


人がその人の元に集まるのは
優れた技術だけではない。


技術以上に
その人の想いや学びが

その人のエネルギーとして
溢れているから

そのエネルギーを
受け取りたいと

集まって来られるている。


技術以上に
その人が提供しているものは
何なのか。


それは

技術を
受け取る人たちへの

信頼なのではないか。


その人の学びと経験で得た
技術と知識以外に


この大切なことを
伝えたら
きっとこの人は受け取って
くれる、


その見えない
信頼というエネルギーの
やりとりが


技術以上の効果を
きっと
もたらしていた。


その人の力は


その伝えようとする想いに
十分蓄えられている。


新しい技術は
より若い人たちに
任せて


技術以前の

そのものに向かう
大切なことを
伝える、という
役目もまた
あるのではないかと感じた。


そして
これからは技術よりも優しさだね、

わたしたちも
優しさ最強説を唱えよう!

そんな話で盛り上がった。


一つとして変化しないものなどない。

変化こそが成長なんだと思う。


人は一生を通して
ずっと
成長を続けていくのだそうだ。

老化すら成長なのだと。




15年ほど前から
クリスマス前のギフトとして
予約し続けてきた
大好きなオレンジチョコレートが


今回初めて


店主の高齢化と
人手不足で
この時期の注文をこなせなくて
年内の納品はもう無理なんです、

と、お断りのお電話をいただいた。


「手作りで一つ一つ作っているからですね」

ゆっくりと話される
穏やかな口調の店主の声を
初めて聞いたのだが


その手間と技術の結晶の
オレンジチョコレートが


クリスマスの前には
当たり前に届けられると、
思っていた。


その儚さを
しみじみと感じた。



どれだけの技術と
愛のこもったチョコレートを
いただいていたのか。


これもまた


優しさ最強の
お菓子だったのだ。



気がつけば

その土地の
こだわりを持って
作られた農作物も


添加物をいれずに
こだわりを尽くしたお菓子も


安全と美味しさを
追求された食品も


どれもこれも


最強の優しさの結晶ではないか。


極めれば
突き抜ければ、

武田双雲さんも
言われていたけれど


それらはいつのまにか


人気の稀少な商品になっていた。



優しさとは


知ってる誰かのためだけの
ものではない。


そのこだわりをつらぬく
自分への信頼が


そのものを受け取る人への
信頼にかわり


信頼のバトンが次々に
広がっていく。

 




こんな話も聞いた。


天草の島出身の20歳の若者が
起業するために
補助金の申請をした。


その起業の内容は

島の中でも
特に過疎化と高齢化の進む場所で
買い物にも行く場所もなくなり
食品を購入することも
難しくなった
お年寄りのために

お惣菜の移動販売をしたい、

というものだった。


彼は宅配便の仕事をしながら
お年寄りの方々と
交流を深めていくうちに

この過疎地で
食べるとことにも
困りだしている方々のために
なんとか力になりたい、
と考えた。


そして、車による
移動販売を思いついた。


お惣菜を作るのは
彼のお母さん。


補助金の申請は
お惣菜を作る調理場の
リフォームと
移動販売の車。


そして無事に補助金の申請は
認定されて


彼は今、
毎日お母さんの作られた
お惣菜をお年寄りの元に届けて
販売しているそうだ。


この地元のお年寄りの方達のためにと


誰かがやらなきゃ、と
起業した。


利益がいくら、とか
お金持ちになりたい、とかでなく


あの人たちのために、
今自分のできることを


それだけで
動ける20歳の若者がいる。


そして
国の、企業の
補助金事業も

変化しつつあるそうだ。


売上を見込めて
より多くの税金を納めることの
出来る起業への
補助金というより


行政の手の届かないところ、
小さくても
その地域に貢献できる事業、


そういう起業に

補助金をおろすように
変わりつつあるそうだ。


この話を聞いた時に
胸が熱くなった。


優しさ最強説が


世の中でちゃんと
現実化していた。



優しさや愛をベースに
力強く動く若者たちの姿に


手を合わせたい気持ちにすらなる。




優しさは
ちゃんと機能している。




みんなが誰かのためにと

思わなくていい。



まずは 

自分のために。



少し余裕がある時は


家族を


友達を


おじいちゃんを


おばあちゃんを


知っている誰かのことを



祈るように想い、

信じることから。



目に見えなくても
小さな優しさを


届けていくことができたなら


優しさがめぐる


この毎日が


きっと

もっと


愛おしくなっていく。


武田双雲さんのこれまた素敵なお話です。
必要な方に届きますように

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。