ウサギの穴
この数ヶ月
ウサギの穴に落ちていた。
なんとも飲み込めない気分で
冬至を迎えようとしていたのだけれど
ブログを開いたら
「ウサギの穴に落ちていた」
というタイトルが降りてきた。
なぜかざわついてしまうから
検索したら
不思議な国のアリスの物語の
ウサギにつられて
アリスが穴に落ちて
幻想的な世界にいってしまうことを
例えに
日常から離れてしまうことなどを
さすのだそうで、
そこまではなんとなく
想像できた。
しかし
こちらを読んで腑に落ちた。
こんな筈ではなかった、
年末に向けてゼロに戻ってしまった話を
書こうかと思っていた。
でも
自分で書いたタイトルに
納得させられた。
本来の目的から逸れていたのに
一生懸命、足を漕いでいたんどと。
ようやく気がついた。
これもエゴのなせる技でしたか。
その予兆のように
10月には草取りとヨガで膝も痛めて
ヨガの先生から
「もう少し伸ばせるハズ、
ってのも エゴです」
と言われていた。
自分の描いた理想を
現実化したいと
ただそれだけに
背伸びをして
まわりにも背伸びをさせて
いつのまにか
こうなったら素敵、を
大正解にしていた。
それが
実現できないとわかったら
大きな失敗のように思えて
数日間落ち込んでいた。
その理想自体がエゴだった。
今ならわかる。
理想を求めすぎて
当初の想いから
少しずつ少しずつ
ズレてしまっていた。
冬至前に
はじけたシャボン玉が
フラットな自分に戻してくれた。
身体と心は一つなんだと
改めて思う。
身体の力もゆるんでいく。
「また一から練り直し」
それもまた
肩の力を抜いて
楽しめる気がしてきた。
冬至をねらったわけではないのだけれど
夫の仕事が半日の
22日に
年内の目標にしていた
お座敷を片付けるために
粗大ゴミの業者さんを
頼んでいた。
使わなくなった
布団箪笥や
食器棚も運び出してもらう。
そして最大の難関だった
押し入れに積み上げられた
たくさんのアルバムを
整理していた。
古いボロボロのアルバムから
60年も70年も前の写真が
パラパラと
剥がれ落ちる。
セピア色の小さいサイズの
写真たち。
この家を建てる木材を運ぶ馬たちを
映した
まだぼんやりした写真から
舗装されていない道
木板を重ねた壁の立ち並ぶ家
そんな風景に驚く。
亡くなった義父の青年時代から
義母との結婚式の写真。
大雪の日の雪だるまを
囲んだ義父と祖父の得意げな写真。
初めての車を囲んだ
家族写真。
そして夫の誕生。
こんなに、と思うほどの
たくさんの写真に
どれだけの喜びが
この家に溢れていたかが
伝わってくる。
お座敷いっぱいに
親戚を集めてのお祝いの様子
そのお座敷で行われた
夫の祖父母のお葬式には
門から花輪の並ぶ通路に
たくさんの人が弔問にならび
座敷の窓をとり外し
廊下からご焼香していただく
様子も写真に残っていた。
わたしたちのうしろに
たくさんの命があった。
わたしたちの前にも
たくさんの命がある。
アルバムを開いたり閉じたり
剥がしたり貼ったりしながら
その繰り返しの中に
受け継がれていく
「ただ愛おしい」
という、
愛情に触れていた。
10歳の頃の夫の
おじいちゃんにむけた
弔辞の手紙も出てきた。
病身になり痩せ細った
おじいちゃんの身体を
かいてくれ、と頼まれ
一生懸命背中をかいた。
僕がおじいちゃんにできた
恩返しはそれだけだった。
少しだけ微笑むおじいちゃんに
もっとたくさん
何かしてあげたかった、と。
受け継がれていくものは
その想いだけでいいのかもしれない。
そんな頃に出かけた
秋の小さな作品展で
夫とおじいちゃんの
子供たちとおじいちゃんの
日の当たる窓辺の語らいを
思い出させる
人形に出会った。
その微笑ましい姿を
いつまでも残していたくて
お仏壇に飾った。
あのあたたかな瞬間に
手を合わせるたびに
戻れるなら
きっと子供たちも
同じ想いを
まだ見ぬ先の命へ
届けてくれるような気がした。
さて
今年も残すところあと1週間。
ウサギの穴に落ちていたから
窓拭きも年賀状も終わっていないけれど
清々しい気持ちで
お正月を迎えられられそうだ。
甥っ子も就職試験に無事合格し
実家では従兄弟たちの
結婚や出産の報告が相次いでいる。
お正月には過去最高人数の
おめでたい集いが
待っている。
そんなお正月を前に
我が家にも
京都から
新しいお客さんがお目見えする。
長女の発想には
いつも驚かされる。
いつの間にか
二羽にに増えた鶏さんと共に
帰省するそうだ。
彼らが新幹線の中で
大人しくしてくれることを
ただ願うばかりだ。
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