雨上がりの傘  ⑧ 秘密基地

枠組みはできたものの
それからも大変だった。

夏休みの間にと
どんどん作業を進めていた。

もらってきた廃材を窓にしたり、
壁の一部に障子をつけたり、
デザインはどんどん
面白くなるのだが、
大変なことが起きた。

家が重くなりすぎたのだ。

いつの間にか、
車輪が4台ともパンクしていた。
これでは全く動かない。
重量の制限をオーバーしていた。
もっと大きな車輪にしないと
家を動かすことは無理だ。
Yさんの指示を電話で仰いだ。

なんとジャッキを使って家を上げ
車輪を一つずつ交換することになった。
車のパンク時に使うと教習所で
習ったあのジャッキだ。

達成感とは別の大きなため息がでる。

寝転がって
ジャッキであげた
床の下の車輪を取り外す作業は
狭さ故に困難でなかなか
進まない。
せめて道具やネジを渡すことで
進まない作業の効率を
あげてやりたかった。

時折、汗とも涙とも
つかないものを拭う姿に
息子のただただ「楽しそう!」を
超えた体験を苦く感じていた。

夏休みの後半になると
1人で作業する日が続く。

夏休みの後期課外も始まり、
土日のみの作業になり
思うように進まなくなった。

焦りのイライラも伝わる。
「だれか支えて!」
キレ気味に呼びにくることもあった。
ようやく屋根板を貼り終えて
屋根のトタンを父親と買いに行く。

車輪の失敗やベニヤの切り間違いなど
材料代も予算を超えていった。
やっと貼ったトタンを見て
おばあちゃんが言った。
「あら、この屋根は水が流れる
 溝と傾きがあってないよ。」

おばあちゃんは古い家と庭の管理を
ずっとしてきたから、
水の流れ方には敏感だ。
傾きが悪いとすぐに水がたまる。
水が溜まると木が腐るなどの
トラブルがおきる。

またしても大きなため息の瞬間だった。

やり直しほど辛いものはない。

「家を作る」

この作業は徹底して
段取りや手順、正確さを問われる。
少しの「ま、いいか。」が
あとで致命傷にもなる。

自慢じゃないが
私も夫も大雑把だ。
緻密さに欠けている。
私は家庭科で
スカートのまつり縫いが雑で
3回やり直しさせられた経験を持つ。

息子に申し訳ない気持ちになる。

生まれ持った性質は
なかなか変えられない。

物作りが大好きだった
息子にとって
この秘密基地という家作りの作業は
その物づくりの根本に触れる
貴重な体験になった。

再びトタンを剥がし、
貼り直す。

息子の奥歯を噛みしめる音が
聞こえそうだった。

そんな想いを何度か繰り返して
秋も深まる頃、ようやく
モバイルハウスという名の
秘密基地が出来上がった。

色も塗り、開き窓の下には
折り畳みのできる棚もついた。
ちょっとした移動販売もできそうだ。
家の中にも作業台がついた。
アイディアになると得意分野だ。

作り始めて4ヶ月。
いろんな人の力を借りながらも
最後まで投げ出さずに
モバイルハウスの
秘密基地を作り上げた。

S氏にも出来上がった
モバイルハウスの写真とお礼のメールを
送った。
彼のツイッターで
中学生が作ったモバイルハウスとして
紹介された。

息子は屋根がついた時点から
何度も秘密基地に寝泊まりしていた。
寒くなったので、寝袋だけではなく
毛布を持ち込んだり、
食事をしたり
楽しそうだった。
ipotやスピーカーを持ち込み、
外のコンセントから電源を引いて
電気スタンドで勉強したりもした。
まさに秘密基地の暮らしであった。

そして地元の春のイベントで
自宅前に出店が立つ時、
モバイルハウスを家の前の通りまで
移動して、
息子と友達で
コーヒースタンドで
出店することになった。
コーヒー好きの父親からの
粋な提案だった。
それも焙煎コーヒーだ。

3月という寒さもあり、
コーヒーはよく売れた。
大満足の1日だった。

中学2年という
世に言う反抗期の時期を
息子はこのモバイルハウスの
秘密基地作りを中心に
夢中になって過ごした。

勇気を出して送った
1通のメールが息子の世界を
大きく広げた。

自分の想いを
自分の力を
その可能性を

周りの人を
周りの人の力も

信じてみる。


小さな勇気で世界はもっと広がる。



そんな体験をした1年だった。






























トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。