未来は誰のもの?

留学から戻ってきて
新しいクラスに編入したが
場所は変われど、
どこででも楽しそうに過ごすのは
息子の特技みたいだ。

2年生の夏休みの
息子は
オープンキャンパスでは
医学部と、工学部などを
見て回った。

K大の工学部は
大学ごと新築されており
その設備の素晴らしさと
想像以上の工学の世界に
魅せられていたようだった。

それでも年末の頃には
「オーストラリアに行って
 何か見つかれば、と思ったけれど
 はっきりしたものは
 見つからなかった。
 俺はとりあえず現役の間は
 医学部を目指そうと思う。
 だけどもし現役で落ちたら、
 その先はわからない。
 工学とかに進路を変えるかも
 しれない。」

それはちょっと環境に
義理だてした
進路決定のようだった。

2年の3学期から徐々に
勉強中心の生活になり、
夜型の生活から
朝方に変えていく。

夕飯を食べたら
塾の代わりに
スタバで勉強する。
本人は多少のざわめきが
あるほうが落ち着くらしい。

11時頃に帰ってきて
30分くらいゲームをしたり
猫と遊ぶと
お風呂に入って12時には就寝する。

そして朝の5時に起きて
すぐ勉強を始める。
週に何度かは
ランニングもしていた。

いつの間にこんなにストイックに
なったんだろう、と尋ねたら

オーストラリアの留学先が
あまりにも田舎で
友達の家に行くのにも
学校に行くのも
バスで1時間かかったらしい。

学校は午後3時には終わり、
バスで1時間かけて家に帰ると
どこにも出かけられず
家で暇を持て余した。

最初はヒマ過ぎて
ゲーム三昧だったが
しばらくすると飽きてしまい、
ホストマザーが通うジムに
時々連れて行ってもらった。

そのうち
時間を決めて勉強したり、
ゲームをしたり
運動するようになった。

ホームステイ先では
庭でバーベキューをしたり
家族で楽器を弾いたり、
湖を散歩をしたり。
自然の中での暮らしに
ちょっとしたアクセントを
つけて日常生活に
メリハリをつけていて、
そういう暮らし方が
身についたようだ。


3年の夏休み前の面談では
英語と数学が仕上がってるから
後の科目を2学期から
集中してやれば
なんとか学校推薦枠に
入れるのではないか、
とのことだった。

11月を過ぎると
毎日が緊張感のあるものになった。
ランニングをする
余裕もなくなった。

朝は5時前に起きて
勉強しながら
自分の部屋で朝食をとり
夜は学校の夕課外のまま
戻らなくなった。

家に帰ると気が緩むと、
そのまま外で食事を済ませ
11時半に帰り、
少しだけ休息すると
入浴して寝んだ。

年末年始も関係なく
自分のペースを変えなかった。

センター試験では
1日目に自転車がパンクしたり
次女が前日にインフルを発症する
ハプニングも起きたが
本人曰く、
まぁまぁの出来だったらしい。

学校推薦枠をもらえて
願書を出すと安心したのか
ちょっと天狗さんになっていた。

推薦だからあとは面接だけで、
ほぼ決まったような
気になった。
「ホントは工学部も捨てがたかったのに
 医学部に行くんだから、
 現役合格したら〜」
 と、たくさんのリクエストをあげたり、
 「あー、これでほかの道を
  選ぶことができなくなるなぁ〜」
など、など。

ちょっと発言が上からだなぁ、
と思っていたら
面接の後の合格発表で

あっさり不合格だった。


晴天の霹靂とは 
このことだった。

息子の様子を見て
合格できるかな、
と思っていたので
心底びっくりした。

浪人、、、がリアルに感じられた。

1番びっくりしたのは
本人だったけれど。

先生方も驚かれた。

後でわかったことだが、
マークミスがあったようだ。

しかし、ちょっと
天狗さんだった息子は
落ち込んだのも束の間
今度は
怒りのオーラに包まれていた。

脳天気も和やかさも、
返上して怒っていた。

「頭にきた!
 もし二次試験で落ちたら
 絶対浪人してでも
 この大学に受かってみせる。

 絶対医者になる!」

今までに見たことのない怒りだった。

星飛雄馬の背中のように
メラメラと炎が
燃えていた。

それから更にストイックになり、
寝る間も惜しんで勉強した。

推薦という安心から
二次試験の対策を
真剣にしていなかったので
必死だった。
1日15時間勉強したらしい。

毎日ピリピリして
胃も痛かったけれど
朝ごはんとお弁当は
しっかり栄養が取れるよう
気を使った。
せめてもの応援だった。

2月の終わりに
二次試験の学科が終わった。

ヘトヘトになって帰ってきた。

翌日は面接だ。
勉強しないでいい分、
朝はゆっくり起きてきた。

前日は1時間前に家を出たのに、
面接だけだからか気が抜けたのか、
8時半受付開始の面接に 
30分前に家を出た。
あまりの余裕にこっちが
慌てた。

そんな時こそ
事件は起きる。

朝8時に家を出た息子から
8時10分に電話がかかった。
嫌な予感。
「あ、お母さん?
 大変だ、受験票忘れた!」

ぶっ飛んだ。
昨年も長女が危うく願書を出し忘れる
ところだったが、
今度は当日に受験票ときた!

忘れん坊大将、復活。

「今大学のすぐ手前のコンビニから
 電話している。
 急いで持ってきて」

急いでもってきて、とな。

この、朝の、渋滞の時間帯に。
幸い自宅と大学の試験会場は
近いけれど
あと15分で行けるのか?

とりあえず受験票を握って
出発する。
カーナビを徹底的に見て、
いつもの渋滞する通り道を
避ける。

地図を最大限に拡大して
渋滞していない道が
どことどこでつながっているのかを
確認しながら
ミッションインポッシブル並みに
細かくすり抜ける。

合間に
「今どこ?
   あと5分。
   30分になったらここを離れる」
と、メッセージが届く。

焦らせるな〜。と
1人で突っ込みを入れながら、
細い道から大学とコンビニの間の
大通りにうまく出れた。

息子が手を振る。
右折してコンビニの前に突っ込んだ。

窓を下ろすと同時に
「サンキュ」、と
受験票をつかんで
自転車で走り去った。

心臓が縮みそうだったが
ちょうど30分だった。

あとで聞いたら開場が8時30分で
息子が駆けつけた時も
まだ生徒たちが入場してる
最中だったそうだ。


家に戻ってから
ヘナヘナと座り込んだ。


ホントに、全く、油断も隙もない、

隙だらけの子供ばかりだ。

よくぞここまでやってこれたもんだ、
ってか、
よくぞここまでサポートしてきた
私が偉いぞ。

任務を遂行できた
満足感にひたっていた。



でも、この受験のあと

息子は

更に

しでかしていた。




合格発表の日。
前日から、
友達の家に数人で
泊まりに行っていた。

発表が10時だから
それまでに帰ってくるよう
キツく言っていたのに、
時間を過ぎても
帰ってこなかった。

待ちきれず電話すると、
朝風呂につかりに
温泉にきたから、
帰ってから見ると言う。

みんな連絡を待っているのにと、
頭にきて、
息子の願書を見つけ出し、
パソコンで大学の合格発表に
アクセスした。

願書とパソコンの画面を
交互に見た。



ある?

あるよね?

あったーー!


合格していた。


やったー!


1人で泣きながら、
息子に、
「おめでとう!合格してるよ」
と。伝えたら、

「うそ、まじ?
 落ちてると思ってた。
 てか 勝手に見るかな〜 

もうすでに発表から
1時間も経っているのに
この呑気さ。

慌てて、父親、両家の祖父母に
電話すると、
みんな連絡がないから
落ちたものと思っていた。

おばあちゃんも泣いて
喜んでくれた。


ところがだ。

高校の先生にお礼の電話を
かけたら、

担任の先生が
とても暗い声で
「はい、〇〇です。
 このたびは残念でした」

と、言われるのである。

急に心が冷えて、

「え、え、先生。
 合格していると思うんですけど」

「え?僕の聞いた受験番号は
 合格ではなかったですが?」

「先生、でも私、受験票見ながら
 パソコンの画面で確認しましたけど」

「えええ!それ何番ですか?」

「〇〇〇〇です。」

「あ!最後の番号が入れ替わってる。
 あいつ。違う番号教えとる〜。
 合格してるじゃないかー。
 〇〇のやつ!
 合格してるじゃないか!」

先生も喜びの声をあげられた。

いや、まさかの
受験番号を間違えて伝えていたとは。

職員室が一気に
明るく
なったようだった。

「本人に早く学校に来るよう
 言ってください!」

平謝りする私に
先生はそう言われたのだけど、

温泉に入浴中の息子が 
学校に現れたのは
昼過ぎだった。

先生から
めちゃくちゃどつかれたらしい。

そしてその後、

全校生徒に
「受験番号を間違えて
 伝えた奴がいる。」

と語り草になっていた。

小さい頃から忘れん坊ぶりが
ひどかったが、
ここまでとは。

また一つ忘れられない
思い出が増えた。



息子の進路はこうして決まった。


おじいちゃんのお葬式で
宣言したから。

小学生の頃から
目指していたから。

でも他にもやりたいことも
いくつかあったけど。

迷いながら、
自分のなかで
はっきり決意できずに
決めきれずに
流れに任せてみた。

もちろん、
誰にも負けないくらいの
努力はしてきた。

でも、推薦では
不合格だった。

曖昧な気持ちでは
受け入れられなかった。

不合格が悔しくて、

息子が本気で医者を目指そう、
と心に決めた時。


未来への道と
自分の意志が
しっかりと
つながった気がする。



誰かのための未来ではなく

自分の未来の道として

覚悟を持たないと

医業という仕事は
できる仕事ではない、と

つきつけられた気がした。


そして
これから先の未来は
きっと
自分の未来を
環境や、運や、人に
任せていく時代では
ないのだろう。

それぞれが
生まれ持った
才能や特質を活かせるよう
できるだけ
その道に近づけるよう

そのための努力を
必要とされる時代。


全くもって
隙だらけだけど、
真剣に未来を模索してきた
子どもたちの成長を
見ながら
私も気づかされていく。

いくつになっても、

わたしの未来は
わたしのものだ。


イマ、目の前の、この選択が

未来を作っていく。

















































トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。