夢見る頃をすぎても


いつのまにこんな年齢になっていた
と、改めて。


子供の頃からはやく
縁側でお茶を飲む
枯れたおばあちゃんに
なりたいなぁと

なぜか思っていた。


人生は苦行と慮っていたみたいに。






前回のブログを書きながら
思い出したことがあった。



若い頃好きだった
「ホテルニューハンプシャー」という
映画だ。

20歳の頃に観た作品である。


原作は「ガープの世界」の著者
ジョン・アーヴィング。

「ガープの世界」も
シュールな作品で、どちらも
悲劇をコミカルとも取れるような
描きかただった。


主演はジョディ・フォスターと、
今は亡きロブ・ロウ。
わき役に主役級の
ナスターシャ・キンスキー。


話の展開が早く
内容が未消化だったが
ものがたりの
流れの不思議さに魅了された。


ストーリーは
父親の夢だったホテルを
家族みんなで、経営する。

最初は好調だったが
家族に、これでもかと
不幸が襲いかかる。

なかでも
若きジョディ・フォスターの
斜に構えた表情、
その姉を慕う弟のロブ・ロウの
一途さ、
その美しさを熊の着ぐるみで隠す
ナスターシャ・キンスキー。

それぞれの身に起きた悲劇を抱え
さらに儚げな美しさを見せていく。


喜劇のような悲劇のような
経験を重ねながら
その儚さがいつのまにか
たくましさに変容していく。


ストーリの展開の速さが
あえて観客の感情移入を拒否
しているようだった。


その映画のひとつのセリフが
しばらく頭の中に残っていた。


「人生はおとぎ話」

家族の中でずっと小さいまま
の末っ子リリーが書いた物語が
大ヒットし、

小さな彼女が高いヒールをはいて
魔女のような扮装で
杖を掲げて言ったセリフだったと
思う。


その記憶に残るセリフと
その家族のものがたりが
どう結びつくのかは
当時はよく理解できなかった。



あらゆるところに
伏線がある。





10月31日から
このブログをスタートしてはや3ヶ月。


わたしと家族の
ものがたりを
駆け足でふりかえってきた。


実はこのブログを書き始めた頃に
たまたま
チカラという出版社に出かける
機会を得た。


それは「シンクロちゃん」の著者
佐藤由美子先生がその出版社で
講演会をされるという
告知を見つけたからだ。


佐藤由美子先生の講演は
若い頃から実践されてきた
思考を現実化するための
行動プログラムを惜しみなく
お話いただき
その聡明でロジカルな才能に
惚れ惚れし、
大満足な時間だった。


最後にその主催の出版社から
「文章の学校」
という講座の紹介があった。

まさにブログで文章を書き出した頃で
どう書き出せば
言葉がつながるのか
悩み始めた頃だった。


渡りに舟。


「シンクロちゃん」の講演を
聞きに出かけて
まさにシンクロニシティが
起きたのである。

早速申し込んだ。


そしてその第一回目の
「文章の学校」で
ブログを書くにあたって
一番大事なエッセンスを
手に入れることができた。


それは

「私」を消す

ことだった。


説明を聞いて
なるほど、と思った。


このことを意識するだけで
とても文書が
書きやすくなったのである。


プログを書き出して
「私」を消すことを意識すると

あらゆる感情を伴う
「私」のものがたりが、

あらゆる感情を出来るだけ
取り除いた
私がすこし薄まったわたしになる。



私を外から見ているわたし、
と言えば伝わるだろうか。



外から見ていると、
あらすじは見えても
感情はそのままではなく
読み取れる、くらいである。


そうやって書いてきた
わたしのものがたりは


早回しで、
感情を深掘りせずに


まるで 映像を見ているような
感覚になっていった。


すると、
その当時はわからなかった
子どもたちの感情が伝わってきた。

書きながらハッとさせられることが
幾度かあった。




そして
書いているうちに
この映画を思い出した。


まだ悲劇など想像できない
20歳の時には理解できなかった、
この映画の展開の速さと


あのセリフの意味が
ようやく
つながっていった。



アーヴィングの視点が
少しだけ見えた気がした。



そうか。


早回しでふりかえってみると


わたしのものがたりも
悲劇も喜劇も
含んだ

おとぎ話。



たしかに

人生はおとぎ話

だった。



それは

美しくはなくて

おかしさや 
悲しさや
悔しさや
恥ずかしさもあり

滑稽だったり
みっともなかったり

喜んだり
笑ったり

ただ一生懸命に



わたしが紡いだ

わたしだけのおとぎ話。




わたしと家族の25年間を
総ざらいして
なぜここまで書く、
と自分にツッコミながら


笑ってもらったり、
ホロリとしてもらったり、
一緒に怒っていただきながら



それでも

「わたしはわたし」と


だんだんに開き直り


おとぎ話を綴る。




そう、
またここに
気付かされる。


ただ、
つづけていくだけなのである。



悩みなから

右に左に彷徨いながら

悔しさや悲しさや

よろこびを重ねながら


いつのまにか

たくましく、つよく、

あるきつづけてきた路が


おとぎ話になっていく。




夢見るころをとうに過ぎて


できないことも増えたり

時々関節とかも痛くて(笑)


再び悲しさや、苦しさに

悩まされたとしても



いくつになっても


宇宙を見上げて


夢をみよう。



未来が紡いでいくおとぎ話を


信じていこう。




もう、子どもたちの未来も

わたしの未来にも

不安はない。



苦しみの先のよろこびを
悲しみの先のえがおを


知っているから。



見上げれば

宇宙のネットワークが

星のまたたきとともに

未来を応援してくれている。




野の花をつむように


愛しさを基準に


人生を選ぼう。













〜あとがき〜

図らずとも
このブログが
50話目になりました。


なぜか早く早く書かなければと
駆け足で書いきて

春までにはと思っていたら
今日になりました。



ようやく、一区切り。

子どもの進学のために
地元を離れ、
9年間
子育てと自分を見つめる中、
子どもたちもわたしも
たくさんの人に出会い、
導かれてきました。


次女の大学進学を機に
9年ぶりに夫の元に戻り
23年ぶりに夫婦2人の生活が
リスタートします。

そこに向けて
3月に引越しをするため
しばし準備に集中したいと
思っています。


落ち着いたら
また、新しい暮らしの中の
気づきを綴っていきたいと
思います。



毎回、
長い長い文章に
お付き合いいただき
ありがとうございました。


読んでいただくことで
「わたしがわたし」で
あることに
力をいただき

ありのままに綴ることが
できました。



ご縁に感謝です。




                                              2020年1月31日


文章の学校のHPです。
必要な方に届きますように。

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。