世界を広げるとき
大学入学を控えた次女は
早速、自動車学校に通っている。
そしてバイトも始めた。
高校生から大学生になるとき
制服と校則からの解放
お金を自分で稼ぐ。
自分でハンドルを握る。
自分で稼いだお金で
遊びに行く。
行きたいところに
自分で行く。
地面から顔を出した筍が
あっと言う間に竹になるように
視点が高くなり
次女の世界が広がっている。
受験勉強を始めてから
早朝から夜更まで
ただがむしゃらに
勉強に集中した。
ただ
模試を受けても
なかなか結果に結びつかず
歯痒い思いをしてきた。
努力したものが
そのまま結果につながる
わけではなく
苦い思いもたくさんしてきた。
それに比べて
自動車学校も
バイトも
時間の経過、
練習の成果はわりやすい。
乗れば乗るほど、
働く時間が長くなればなるほど、
運転の技術はあがり
仕事の内容はたくさん
経験できる。
自動車学校に入学当初
操作がなかなか身に付かず
「わたしに向いてないない。
一生車に乗らなくてもいい」
とまて、言っていたのに
今では
「車校を卒業したら
すぐに車に乗ってあちこち行きたい」
だそうだ。
バイトも
「わたしは何もできないし、、
すぐに人を頼ってしまうから
友達が誰もいないところで
バイトしてみる。
知らない人話す練習をしたい」
と、言っていたが
いざ、その環境に飛び込んだら
必要に迫られて
誰とでも話せるようになった。
やってみる、
を超える意識の変容はない。
頭でどれだけ想像して
心配するより
難しいか簡単かより
やってみる。
久しぶりに会った
おばあちゃんに
「おばあちゃん、バイトしてみてね。
何もできないと思ってたけど、
わたし意外とできるんだ。
自信がついちゃった。」
と、嬉しそうに話していた。
そんな18歳を眩しく感じながら
この勢いが
若いってことだよね〜
なんて思う。
高校を卒業してからの
1年間は
刺激に満ちた毎日だ。
長男も一人暮らしを始めた時は
楽しくて仕方ないみたいだった。
自転車で行けるスーパーを回り
どのお店が安くて新鮮かを
自分の目で確かめていた。
買う物によって
行くスーパーを変えていた。
料理が好きで
いろんなものを手作りしてみていたが、
最初は安さを求めて
買い物に時間を割いていた。
「お母さん、そのお店が安いかどうから
牛乳の値段を見れば大体わかるよ」
と、得意げに話していた。
バイトを始めると
時間がお金に変わる体感により
時間の方が価値があると思ったらしく
安さより効率を重視して
買い物は一ヶ所で済ませるようになった。
息子は小さい頃から
自分の目で見て
体験を通して
判断するタイプだった。
しかし
そうして暮らしいていくうちに
行動は習慣になり
新しい楽しさが
徐々に当たり前になっていく。
ワクワクが
ほどほどに
刺激に満ちた刻は
少しずつ落ち着いていく。
大人と子どもの境目の
この時期の体験の
高揚感はなんだろう。
それは、初めての体験という
だけではなく
「自分で選択肢を持てる」
ことなのかもしれない。
自分で選べることが増えて
それが喜びになる。
選択肢の中から
自分の感性で選び
良くも悪くも
結果を享受する。
そのこと自体が
緊張と刺激につながっていく。
ただ
だんだんに
予測と結果が
想像を超えなくなっていくと
「慣れ」
になっていく。
その慣れが
日々を繰り返しに
していく。
そんな慣れてくる毎日の中で
日々を新鮮に過ごす術は
なんだろう。
世界を広げて
やや落ち着いてきた長男と
世界を拡大中の次女をながめながら
考えていた。
どんなに限られた状況の中でも
20歳前後でなくても
私たちにも
目の前にはいつも
選択肢がある。
「この歳になるとどれを選んでも同じ、
たいして変わらない」
ような気にもなる。
でもきっと
そこが「分かれ目」
今こそ分かれ目〜
先日の卒業式で
美しい歌声を聞いたけれど
分かれ目なのではないかと思う。
日々を繰り返しの
「慣れ」
にするかしないかの
分かれ目は
実は
選択肢をはっきり
意識することなではないか。
次女の大学進学で
地元に戻る引越し準備をしながら
わたし自身も
いろいろ気づくことがあった。
今回の引越しで
9年ぶりに
地元の古い家に戻る。
実は結婚当初から
この寒くて古い家が苦手だった。
築90年近くになる家は
8センチ角の柱に
一枚板の床の間があり
廻り廊下の
古民家であるけれど
正直わたしには
暮らしにくいとしか
思えず。
子どもが小さい時から
お風呂もトイレも
寒くて遠くて
家に関して
いい思い出がなかった。
子どもたちと暮らした
マンションは
狭いけれど
効率がよくて
何より暖かくて
でも
いよいよ戻る時がきた。
4ヶ月前、アキちゃんの整体を受けた時
「今まで欲がなさすぎです。
これからはもっと家具でも何でも
こだわりを持って
ください。
もっと好きなものを主張して
いいんです。」
と言われたのである。
わたしが地元に戻る準備をしながら
だんだんに
そのメッセージが
心の中で響いてきた。
そうだ。
どうせなら嫌いな古い家を
好きになるようにしよう!
そうしよう。
戻るのが楽しみになるように。
で、大改造でもできれば
良かったのだけれど
これから大学生3人の仕送り生活が
スタートするので(泣)
もっとこうだったら
嬉しいのに、
を拾うことにした。
いろいろ注文しだしたわたしに
夫が
顔をしかめたから、
こう言った。
「この家を好きになりたいから」
すると
何も言わなくなった。
好きになるための
選択肢を予算と照らし合わせて
選んでいくことは
楽しかった。
大きな窓のついた寒いお風呂場は
内側にサッシをつけて
二重窓に
押し入れをクローゼットに
25年経ってかなり古くなった台所は
プロの徹底お掃除でピカピカに
リビングには
新しいダイニングテーブルと椅子
なかでも
1番嬉しかったのが
廊下の天井が綺麗になったこと。
廻り廊下の天井にある
大きな丸太の上の埃が
台風で強く風が吹くと
砂埃になって落ちてくる。
梯子に乗って落とさなければ
落ちない高さに積もった埃が
とても気になっていた。
そこもプロのお掃除の方に
お願いしたのである。
掃除をする方の心意気も
素敵だった。
下見に来られた時から
「やりがいのある家です」
と、嬉しそうにおっしゃってくださった。
その言葉を聞いて
とてもワクワクした。
丁寧に掃除機とブラシで埃を掻き取り
1番高いところは
3メートル近くある天井板を
梯子の上に立って
1枚1枚綺麗にふきあげてもらった。
すると
家の中の空気感が一掃された。
空気も澄んで
家中が喜んでいた。
ビフォーがないけれど
伝わるだろうか。
3人組で廻り廊下を
こんなに綺麗にしていただいた。
6時間の作業だった。
長年、気になりながら
そのままにして、
台風や強風が吹くたびに
ざらざらと砂が落ちてきて
憂鬱になっていた天井である。
古い家だから
仕方ない、とずっと諦めていた。
たとえ掃除しても
すぐ積もるし、と。
でも25年以上の埃も
綺麗になるのだ。
心の中にも積もっていた
家に関する不満まで
一掃された気がした。
そして
心強い味方を得たのである。
できるだけ
日々の暮らしで
埃を落とすよう心がけて
でも難しい時は
お願いすればいいんだ。
そう思えば安心できた。
お掃除のプロの方でも
きっといろいろな方が
いらっしゃると思う。
素敵な方に出会えたことに
感謝である。
実は HIMIKAでも活躍されたお掃除屋さん。
オーナーのmichiさんのご紹介だった。
喜んで掃除をしてくださったことが
これからのわたしの
在り方にも
変化を起こしつつある。
「この家を綺麗に保ちたい」
そんな気持ちが芽生えたのだ。
結婚して26年目になる年、
9年ぶりに戻る家が
やっと
わたしの家になりつつある。
「居心地のいい、
私たちの家にしよう。」
ずっと嫌いな家のまま
あきらめて何もせず
暮らす選択肢もあった。
大きな改造をしなくても
好きになれる選択肢を
少しずつ選んだら
もう好きになり始めている。
自分の暮らす
小さな世界を
豊かにすることは
わたしの世界を広げていく
気がしている。
わたしの内側を心地よく深めれば
反転して外側につながっていくから。
日々の暮らしのなかで
「慣れ」は
選択肢の結果ではない。
実は
結果を予想して
やってみないことが
増えているだけじゃないのか。
知らず知らず
新しい体験を面倒くさがって
やっても
こんなもんだろう、
という気持ちが
「やってみる」
を、諦らめさせる。
お掃除屋さんに触発されて
冷蔵庫の上も中も
食器棚の上も中も
タンスの中も
今、懸命に掃除している。
あっちもこっちも
掃除したくなっている。
大きなチャレンジでなくても
清々しい体験が
家と心地よく暮らすためにと
意識が変わっていく。
わたしの世界が
このお掃除で
どんなふうに広がるのか
また楽しみになってきた。
やるか、やらないかではなく
何かを
どちらかを
「やってみる」
という、選択が
きっと、世界を広げていく。
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