567(コロナ)が我が家にもたらしたもの


「くそーっ、567のやつ。ゆるさん!」

3月末に大学進学のために
上京する予定を延ばした次女は
ニュースを見るたびに悪態をついている。


本当なら今ごろは東京で、
入学式を終え
オリエンテーションなどを受けている
予定だった。

最初は入学式が中止になり、
授業の始まりも4月末になり
引越しだけすませる予定だったが
東京の感染者数が延びて行く様子に
引越し自体も延期した。


あらゆる配送予定の荷物をとめ、
ガスや電気の立会も
延期してようやくひと息ついた。



高校卒業と同時に茶髪に染めた髪も
落ち着いて、
黒髪が少しずつ伸び始めていた。


出発予定まで
お祭りのように
中学の友達、高校の友達と会って
引越し荷物も送っといて〜と
人任せの出発になるところだったけれど


延期を決めた時
福岡の友達のところにいた次女は
「もう家に帰らない!」
と怒ったものの
そうそう友達の家にも長居できずに
ふてくされて戻ってきた。



時間だけはたくさんあった。


ダイエッターとしては
ただふて寝しているわけにも
いかなかった。


最初は1人分のダイエット料理だけ
作っていた。


そして運動代わりに
地元の小さな街中を散策して回った。


次女が地元を離れたのは
小学4年生になる前。
1人で地元を歩きまわる機会もなかった。


その機を取り戻すかのように
運動を兼ねた
お散歩が始まった。

ちょうど桜も開き始めたころだった。

花見を兼ねて出かけると
2時間くらい戻らなかった。

あのお店がなくなってた、
こんなお店ができていた。

すっかり街中を把握してしていた。
そんな時
引越しが延びて
気が緩んだのか
わたしの体調がおかしくなった。


考えてみれば2月から
引越し準備で
バタバタと過ごしてきた。


地元の家も山ほど断捨離して
引越し荷物も
まとめてまとめて


引越しを終えた早々
長女と彼氏のご接待。


そのまま月末仕事に突入して
ようやく区切りがついた日の午後。

胸苦しさと
生あくびが出始め
座っていられなくなった。


「ごめん。具合悪いからしばらく休むね」

そう言って2階にあがった。

1時間ほどして
降りていくと
次女が台所に立っていた。


昼ごはんの後片付けもしてあって
更に

「わたしが夕飯作るから
 寝てていいよ」
と、ぶっきらぼうに言ったのである。

耳を疑ってしまった。

「えええ、本当に?」

普通のご家庭なら
ごく当たり前の会話だろうが、
なにせふてくされて久しい
次女の珍しく優しい言葉だったのである。


「ありがとう。
 じゃあ、よろしくお願いします」

ついつい丁寧に頭を下げて
再び休む。

「うわぁ、いったい何ができるんだろ〜」

嬉しさと不安を感じながらも
気分の悪さにすぐ眠ってしまっていた。

起きた頃には
夕飯も出来上がっていた。


キャベツを詰めた寿司揚げに
豚バラの薄切りを巻いた
お好み焼き風のヘルシー料理だった。

人が作ってくれた料理は
美味しい。

胸苦しくてもお腹は空くし
次女が1人で頑張って作ってくれた
と思うと、
美味しさも倍増だった。


翌日も次女は
家事を頑張ってくれた。


その日は夫の誕生日だった。
週末に誕生日をする予定にしていたけれど
次女が誕生日の料理を作ると
言い出した。

「本格的なパエリアとケーキを作りたい」

午前中はゆっくり休ませて
もらったけれど
午後からの時間は
なかなか大変なものだった。


正直、寝てるどころの話ではなく
どんどんたまるボールやザルを
洗っていかないと
物を置くスペースもなく。


でもレシピ本通りに作ることに
徹している次女は
順番通りに作ることが精一杯で、
その後の手順まで
頭が回らない。


イカをじっくり焦げ目をつけるまで
オイルで焼くのに、
水分をきってなくて
油がはねまくって
叫び声をあげたり、


ホールトマトの酸味が抜けるまで
しっかり炒めて
アサリを投入する時には
トマトソースがレンジ周りに
飛び散り、
戦々恐々しながらも
手順の通りに仕上げていくことには
忠実で

その甲斐あって
香りは十分に本格的な
パエリアに近づいている。


レシピ通りの有頭海老は
5匹で880円。

なかなかやってくれるな。
丸めて捨ててある
ラップに目がいく。


洗わずに生米から
トマトソースに投入し、
蓋をせず強火で炊いていく。


どこにも売ってなかった
サフランの代わりに
ターメリックを代用した。


本格的なパエリアのレシピは
わたしも初めてのものだった。


ほどよく焦げた匂いを
漂わせながら
パエリアは完成。

スープとサラダは私が担当して
次女はケーキまで頑張った。


レアチーズケーキの白に
イチゴの断面が生えて
レモンピールの風味が
上品さを上乗せしている。

ところどころに
とけそこなったゼラチンの粒が
混ざるのもご愛敬。


仕事を終えて戻ってきた夫は
目を丸くしてびっくりしていた。


予想外の誕生日ディナーと
それらが次女の手作りであることに。


本当に嬉しそうに驚いていた。

そして次女も、
照れ臭そうにしながらも
お父さんの誕生日を
心から祝う事ができて
誇らしげだった。





9年間、夫はこの家で
おばあちゃんと2人で暮らしてきた。


地元でいろいろな役を引き受け
週の半分は会合で家にいない日々だった。


週末は家族のもとへ。
でも思春期や受験生の子どもたちと
過ごす時間はわずかだった。


離れて暮らした9年間、
会議や勉強会、懇親会、飲み会と
出事が多くて
夫は少しも淋しくはなかったんじゃないか、
むしろ、
家族の不在を
楽しんでいるんじゃないかと
思っていた。


なにせ小学校でおばあちゃんの家で
暮らしても
ホームシックにならなかった
男子だ。


でも


地元に戻ってきて
再び一緒に暮らすようになって


「そうじゃなかった」

と気づいた。


長女が戻ってくる時も
なにやかやと
大サービスしていたけれど、


これまた1人残っている次女にも
至れり、尽せり
なのである。


週3回くらい出かけていた会合は
感染予防の外出自粛を受け
あらゆる会議も懇親会も
中止になった。


子どもたちが小さい頃でさえ、
こんなに家にいたことないよね?
と言うくらい、
仕事が終わったら
毎日ご在宅だ。


夕飯が済むと、
免許取立ての次女と
いそいそと
さびれた温泉ドライブへと
出かけたり、


退屈している次女のために
DVDをセレクトを作って
わたしたり


スーパーに一緒に
でかけたり

リクエストで
夜桜の中、
ジョギングしたり


こんなに子ども想いだったのね〜
と改めて知る。


あえて妻想いであったかは
問わないけれど


時間があれば
せっせと次女との時間を
楽しんでいる。


それは新しい生活が先延ばしになった
次女の胸の内を察してと
言い訳していたが
むしろ、
次女を喜ばせることが
夫の喜びでもあるように見えた。


夫の
本来の性質が
「人を楽しませる」
ことだ。


その夫がこの古くて広い家で
誰も楽しませることができずに
1人で
いたのだとしたら
それはとても 


サビシカッタノデハ。



どんなに飲み会がたくさんあっても
その淋しさは
きっと
埋められなかっただろう。


週2〜3回通っていた時は
時間に追われて
気づかなかった。


夫にも
子どもたちにしてあげたい事が
たくさんあったのだ。


夫は
自分の感情を口にすることは
めったにない。


いつもわたしが勝手に想像していた。

わたしから見た夫でしかなかった。



次女も寝んで2人でいる時
聞いてみた。


「お父さんも、9年間
 大変だったね。
 帰ってきてみて、
 仕事をしながら
 ここで1人で暮らしてきた 
 お父さんの大変さがわかった気がする。
 サビシカッタよね。」


「んー。サビシカッタのかな。
   よくわからんけどね」


曖昧にしていたけれど、
否定はしなかった。

たぶん、想うところはあるのだろう。



そして、それは次女も
同じなのである。

次女は自分の気持ちを
表現しない。


感情のままに爆発する
長女と違って


自分にも他人にも
少し距離を置いている。


小学校の高学年の反抗期が
始まったころ。
泣きながら言われたことがあった。

「わたしは引っ越したくなかった。
 ずっと、おばあちゃんや
 お父さんと一緒に暮らしたかった」


上2人の進学のために
無理やり転校させられた
次女が初めて
心のうちを泣きながら語った言葉だから
忘れられなかった。



567の騒ぎで
意気揚々と出かけるはずの
東京にも引越しもできずに
地元でくすぶって
ふてくされていたけれど


こんなにもゆっくりと
父親や
おばあちゃんと過ごす時間を
得ているのである。



ある意味
子供の頃の
心からの願いが
成就しているのではないか。


たった1ヶ月であっても
今までになかった
濃密な時間を過ごしている。


口では
「早く東京に行きたーい」
と、叫んでいるけれど

いろんなリクエストに
どこまでも応えてくれる
この期間限定の
父親に思いっきり甘える時間は



「愛されている」

「愛している」



言葉にしなくても

伝わる
ひびきあう


たがいの想いを


心の中に
刻んでいるようだった。



これから遠くに羽ばたく
次女にとって


立ち止まるとき、
迷うとき 

きっと
背中を押してくれる

そっと
背中をさすってくれる


誰よりも、いつだって
味方だと

心強く
メッセージを伝える

シーンになっていくのだろう。





SNSで見かける

コロナウイルスのこの状況を

「56億7千年後に訪れる
       弥勒の世」

567から369(弥勒の世)へと表現されるように


今、世界中が大変な状況でも


いつかそんな世の中へと
つながっていきますようにと
願わずにはいられない。





コロナウイルスが蔓延する世界で

大変な苦しい状況が続くことになっても



そんな日々の中でも


小さなヨロコビや
小さなキヅキが



きっと


わたしたちの不安や
恐怖や
苦しみを、


和らげ
癒し
整えて


あたたかな循環を起こしていく。




この状況に
苦しんでいる方々と
支える方々が


癒し、
守られ、
整いますようにと


ただ

祈り
意宣り
ながら、



わたしはわたしの日々を

重ねていこう。



小さなヨロコビと
キヅキを


見つけながら。


トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。