ワタシからの反撃
それは突然起きた爆発のようで
そうではなかった。
何にでも伏線があるし、
意味がある。
ホントはずっとモヤモヤしていたけど
長い反抗期と思って
自分をなだめてきた。
いずれ離れて暮らせば
気づいていくだろうと
そう思って
こらえていた部分もあったし、
わたし自身も
両親のことを
キライと思ってた
時期があったし
反発する気持ちも
わからないでもなかった。
東京になかなか出発できない
次女に
緊急事態宣言を受け
更に引越しの延期を
もちかけると激怒した。
大泣きして
一日中布団の中から
出てこなかった。
友達にも会えず
地元にこもって
1ヶ月。
我慢も限界に来ていたことは
理解できる。
でも
八つ当たりの暴言が
わたしに向かってだけ
激しくなり
中学生から始まった
言葉使いのひどさに
上乗せして吐き出されると
その昔、
お父さんや
おばあちゃんには
離れて暮らしてるから
わがままは言えない。
と、言ってたことを
差し引いたとしても
我慢の限界がある。
わたしを飛び越え
ワタシが爆発した。
爆発する寸前まで
迷っていた。
言うべきか
言わないべきか。
でも、一言話すと
あとは
堰がきれてしまった。
「なにいきなりキレてんの」
と、次女が急に
普通の口調で返事する。
すると夫まで加担する。
「そんな急に怒るなよ。
大人げない」
その言葉にまた
カチン、ときた。
並んで座ってリラックスしている
2人に
仁王立ちになって
不動明王のごとく
怒りもあらわに
この数日間の
次女の暴言と
その前からずっと
機嫌の悪い時に吐き捨てる
「ウザい」
という言葉に
とても傷つけられていることを
伝える。
そして、夫にも
「大人げって何。
子供がそんな言葉を使ってても
物わかりがいい風に振舞うのが
大人げ?
たまにしか会えなくて
いい顔しかしてないのに
わかった風に
子供に迎合ばかりしてんじゃなーいっ」
と、吠えた。
それにしても
感情をあらわにして
怒ったり
泣いたりすると
その後に
どうして
こんなに心が揺れるんだろう。
自分がとても
弱い人間のような気持ちになる。
勢いよく吠えて
言いたいことを言放ったのに
同時に
情けない気持ちに
なりつつあった。
ただ
久しぶりの感情の爆発は
ずっと抑えていたこと、
不快感を感じていたこと、
吐き捨てられるように
使われる言葉が
心の中に
小さな澱のように
たまっていたことにも気づく。
ところが
そんな想いは
わたしだけが受けていたものでは
ないことも
徐々に知る。
次女が
「いつもそう言っても
あんまり怒らんし
慣れてると思ってた」
と言った。
「慣れるわけない。
もう少し大人になれば
気づくと思って堪えて
いただけ」
わたしの爆発を機に
それぞれが
自分の言い分を言った。
夫は夫で
「子どもに対して
してやりすぎていると
前から思っていた。
子供たちも
してもらうことが
当たり前になってて
してもらえない、
してほしくない時に
そういう態度を取って
しまうんじゃないのか」
次女は
「自分を子供扱いされることが
嫌だ。
こうしたら?と言いながら
いつも先にやってしまっている。
それにイライラする」
その場では受け取れなかった
言葉も
こうして文章に書けば
なるほど、そうだよね。
と、思う。
書くってことは
つくづく
ワタシに取って
腑に落とす作業だ。
ワタシが
ワタシだけが
直接的な暴言に傷ついたと
思っていたら
そうでもなかった。
次女は更にこう言った。
「お母さんみたいに
ベラベラ自分の気持ちを
言えないから、
そんな言葉になる。
前も
わたしが悩んでいることを
話したら
面白い話みたく
笑いながら
お姉ちゃんに話された。
めっちゃ腹が立った」
え。
えええー。
驚いた。
あの話は笑い話ではなかったのか。
笑い話とばかり思っていた。
しかし
笑い話でないとしたら
たしかにひどいことをしていた。
人の気持ちはわからない。
笑いながら話していたように
思っていた。
その場では
怒りのほうが優勢で
冷静に聞けなかったけれど
こうして書いてみると
傷ついていたのは
誰だったのか。
我慢に我慢を重ねた挙句の
ワタシの反撃の爆発は
ワタシの無自覚の攻撃を
自覚するためだったのか。
家族でも
友達でも
他人でも
人と人が向き合えば
やりとりの中で
受け取り方の違いは
必ず起きてくる。
良かれと思っても
悪気がなくても
時間を共有していくなかで
知らず知らずに
互いを傷をつけて
しまう。
自分だけが被害者でなく
加害者でもありうる。
いや被害者、加害者でもない。
傷つけたり傷ついたりしながら
お互いを鏡として
学んでいる
言わば共演者だ。
ワタシが傷ついたと感じる時、
誰かもどこかで傷ついている
その意識を持つ。
ああ
そうか。
たまっていく、
爆発する、
感情の
正体が
見えてきた気がした。
感情のままに怒る、泣く。
それは
決して悪いことではない。
感情を出すことは
ある意味浄化でもあるし。
でも、
その膨れあがる感情の正体は
「被害者意識」だ。
ワタシが
こんなに一緒懸命やってるのに
考えているのに
なぜかここに
「いつもそう」という
前フリがついたりする。
視点が自分の思考と感情にだけ
集中してしまう時
何かが積もっていく、
と感じている時
ワタシの被害者意識が
走りだす。
ワタシの中では
ワタシかわいそう、
ワタシ、こんなに傷ついた。
が、ふくらんで
はじけて
状況と言葉を結びつけて
飛び出して行く。
ふくらんだ心が
言葉と一緒に弾けたとき
もう1人のわたしが
顔を出す。
本当にそう?
わたし、かわいそうな人?
わたしはそんなに弱くて
傷つきやすいの?
わたしを傷つけているのは
本当はだれ。
わたしの心を
どんどんゆらす。
なんだか情けない気持ちに
なるのは
わたしからの
確認作業だった。
この
「被害者意識」
ずいぶん長くお付き合い
いただいてきた。
気がつけばいつも横にいて
今、こんなひどいこと言われたよね。
メモメモ。
ほらまた、あなたにばっかり。
こんなこと
そのままにしてていいの?
はっきり言わなきゃ。
なんて
だいぶ背中を押してもらって
勇気をふるって
伝える
お手伝いもしてもらってきた。
たしかに
それが必要な時期もあった。
でも
本当は傷つかなくていいことに
傷つくお手伝いだって
してくれていた。
傷つけていたのは
周りの人や
言葉ではなくて
本当は
ワタシの意識ではなかったか。
ワタシがこれは
傷つく言葉、
傷つく場面
と
選別してきたんじゃないか。
こうして
感情的に怒ったり
泣いたりしても
たがいに
改善できる
着地点を
さぐりながら
話のできる
家族であり、
周りの友人、知人だって
意図して傷つける人は
だれもいないと
充分知っているなか
そんな
「被害者意識」は
もう、いらないんじゃないか。
今、
ワタシは
ちっともかわいそうじゃない。
そう思ったら
長い間、お世話になってきた
「被害者意識」 が
わたしの中から
すーっと抜けて
上に登って登って
消えていく気がした。
さよなら
バイバイ。
かわいそうだったワタシ。
今日も瞬間的に次女は言う。
「ウザっ」
もうただの口癖た。
「ほら、また!」
一応注意はする。
お風呂の掃除を
父娘でゆずりあって
いつまでも動かない時。
「いいのね?また先に動くよ!」
すると
笑いながら
「お願いしやす」
と、返事する。
余裕がある時は笑ってすませる。
時々キレる日もきっとある。
でも、もう
言葉や態度には傷つかない。
根底でわかり合っている
部分があればいい。
わたしの心に
傷という印をつけるのは
ワタシだったと
気づいたから。
もうすぐ1人、旅立つ次女。
567の心配を盾に
押さえ込むのはやめよう。
何もかも1人で
受けて立つぞ、と
覚悟を持ってるらしい(笑)
少しでも早く苦も楽も
体験したいと
勇んでいる
まだまだ甘ちゃんの次女だけれど
どうかその進む道が
あまり険しくありませんように。
良い出会いに導かれますように。
それだけを祈りながら
希望を大きく膨らませる
次女の未来へ
夢に続く場所、東京へ
送り出そう。
どんな体験もギフトでしかないから
彼女の選択と
その未来を強く信じていこう。
散歩ヒモを外して
見守りのなか、お散歩するネムちゃん。
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