整っていく

このところの暖かさはなんだろう。
少し不気味でもある。


でも
大掃除の強い後押しになって 
助かっている。
ようやく
冬至までにゴールが見えてきた。



大掃除を始める前の
不安な出来事の過程も
紆余曲折あり、
心配なことが更に増えた
感じもあった。



ぐるぐる巡る頭の中で
再び
私とわたしの攻防も
起きていた。



「私の毎日ってなんだろう」

急にそんな思いがわいてきたのだ。


一応自営の
仕事も分担している。

ルーティンの仕事をこなし
天気の良い日は
午前中に窓を拭き


気分が乗らない時は
草を取り
落ち葉をはく。


試験中の息子に差し入れを
届けたり


実家の両親の対応にも
走っていた。



ふと、立ち止まると


そもそも
文字で書けば
数行で終わる、
退屈に聞こえる
この日々の繰り返しが
急に色褪せたものに思えてきた。



むくむくと

時間のある私は
なんだか価値がないよな   
というかヒマジンのよな


社会から
取り残されているよな


そんな気分が
モヤモヤモヤモヤと
わいてきたりした。



そんなときに
SNSをめくって
いろんな方の発信や
活動内容を
見ていると

キラキラと輝いて
意義のあること
やられているなぁ
と、思うと


ますますもって
窓を磨きあげ
庭を整える
わたしの日々が
退屈でつまらないものに
思えてきたのだ。



それは
アメリカ大統領の選挙の
混乱と並行するように


何をやっても
この状況はひっくり返らない
ような
そんな投げやりな気持ちも
重なって


起きている出来事に
引きずられている
感じもした。



はぁぁぁぁ、

秋だからか、


ひとしずく落ちた水滴の
波紋がいくつもの円になって
広がっていくように


気持ちが外に外に向いていた。





そんな時に庭師さんたちが来られ
年末の剪定をされた。


見る見るうちに樹木が
刈り込まれて 


不揃いだった枝葉や
覆われていた庭石が

再び輪郭を取り戻し


庭がまたキリッとした
表情に戻っていく。


私も気になる箇所の
剪定や
段差のある石垣の
補修もお願いした。


「手をけられている庭は
   すぐわかります」


庭師さんは
そう言うと
嫌な顔一つせず
引き受けてくださった。



綺麗になった庭で
久しぶりに裸足になり
ひんやりした地面に足を置く。


昼間の気候は汗ばむくらいで
裸足でも少しも寒くない。


そう、
庭はいつも
私を整えてくれる。




そして
気がついた。




いつもいろんなことを
やってみたら
と思う自分もいた。


でもなぜかその先を考えると
躊躇してきた。


「臆病なのかな」

自己嫌悪に
なったりした。



でも今こうして
庭に立ち


手のかかる
わたしの家と
わたしの庭を
眺めると



わたしの場所はここだった。





たとえば

ビジネス的なことを
一生懸命やって
うまくいったり、
人のために何かを提供して
喜ばれたり
それによって収益を得たりしたら
自分に
自信を持てたら
達成感を得たり
とても素敵なことだし
羨ましい、
と、
正直思うのだ。


でも
わたしが1番失いたくないものは
と、問うてみると




答えは

「自由な時間」

だった。




子育てもやっとゴールが見えて
せいせいした気持ちよ、と
思っていた。


わたしの両親に対しても
身近に住んでいるからこそ
顔を出すけれど


心の中では
私は
結構クールだと
思っていた。




でも何かあると
誰よりも家族のために
動いてしまう
自分も知っている。




そう、
いつでも
家族のために
動ける自分でいたかった。



手がかかるから、
嫌だけど仕方なく、


そういうポーズをとってきた。



でもこの11月の
季節を逆行するような
気温の混乱と


世の中のコロナや
アメリカ大統領選の混乱に
乗じて


わたしの
外に外に
向かっていく意識の
混乱にもまれながら


「時間」という言葉に
たどり着いたとき




ギュッと反転して
内向きに向かい出した。





初めて


この退屈に見える毎日が


心から望んだ


「わたしの生き方」


だと、なぜか思えた。




「今世、
   私はわたしを深め、
   わたしと家族の幸せのために
   生きる」


そう感じたら

すごく心が軽くなっていった。




なんだ、そうか。



それが私の

「わたしを生きる」

だった。




ずっと
わたしの役目は?
わたしの生まれてきた目的は?


と、自分に問うてきたし
  人にも聞いていた。



いつだって

私は

娘で
妻で
嫁で
母だった。


当たり前すぎて

もっと違う、
もっと大きな、
もっと世の中の役に立つよな
何かしらの役目があってほしかった。



でも、やはり、

あたりまえのわたしが
良かった。



わたしにはそれが
幸せだったのだ。



外に向かって散らばっていた
わたしの意識が


すーっと

わたしに、
ここに、

戻ってきた。



途端に、
大統領選やコロナの混乱も
気にならなくなっていた。






実はこのひと月で


実家の父と同じように
認知症の傾向が
母にも見られるようになり

ぼんやりしていることが
増えていた。




2人揃って
今までと同じ暮らし方は
難しそうだった。




親身になってくださる
ケアマネさんから
今まで週1回リハビリを受けていた
介護サービスを
生活支援のサービスに
変えること、
同時に介護認定の変更も
申請することを提案された。


「とてもいい雰囲気の
 デイサービスの事業所があるのです」



勧められて両親を連れて
見学に行くと


そこは
本当に心あたたまる場所だった。




個を尊重する姿勢の
事業所で
機能訓練も入浴もあり


伺った日には
10人程度の利用者さんで
半数以上が男性で
将棋や囲碁を
女性はオセロを
笑顔で楽しまれていた。


責任者の方の
ご両親が昼食をリビングの中心で
手作りされていて、
時間とともに美味しそうな匂いが
ただよう
アットホームな雰囲気。


月に数回は
パン作り、 
紅葉を見にドライブ
干し柿作り、
さんまを炭火で食べる会
など工夫をこらした
楽しげなイベントが予定に並び


今まで通っていた病院のリハビリに
義理立てして
移るわけにはいかない、
と言い張っていた父も


その場で
この事業所に
変わることを即決したのである。



申請が認定されれば
週二回はこちらに通って
楽しく安心な時間を
過ごすことができる。



そしてこのあたたかな事業所は
12月でようやく開業1年を迎え
最近人気が高まり
両親の申込みを最後に
定員に達した。



「ギリギリセーフで
   本当に良かった」
ケアマネさんが笑顔で言われた。



ケアマネさんの想いと
事業所さんの志に
涙が出そうだった。



高齢に達し、
両親の認知症の症状に
驚きと哀しみで動揺して


これからのことを
不安に感じていたけれど
 


両親もちゃんと守られていた。

 

すべてのことが
案じなくても整えられていく。





「日々丁寧に粛々と」



両親の生き方は
真面目すぎるほどに
この言葉そのものだった。



日々の丁寧な積み重ねは

きっと繋がりを結んでいく。




これからも

何かにつけて

迷ったり
うらやんだり、
自分を責めたり


きっとまた繰り返していくだろう。



でも
今につながる未来に


自分がどうしていることが
1番しあわせで
笑顔でいられるのかを
想像したときに


1番大事なものだけを
感じてみたら


きっと
こたえが見つかる。

こたえを見つけられる。




そんなことに気づけた11月



冬至まであとひと月



家も庭もわたしも

また新しく生まれる。



トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。