雨上がりの傘 ⑪ 翼

10月にホームステイ先が決まった。
その家族の紹介資料が送られてきた。

ご家族の資料を頭を並べて覗き込んだ。
オーストラリアのニューカッスル、
シドニーの少し北にあたる海沿いの街
だった。
グーグルマップに住所を入れると、
航空写真で見ることもできた。
海の近くで湖もあり、
自然豊かな街だった。
ホームステイ先は緑の森の中に
家があり、
ご両親は同世代だった。
お父さんは船舶の技師、
お母さんは理学療法士。
子供さんは息子より年上の大学生と、
中学生の娘さん2人だった。
犬も猫もニワトリもアヒルもいる。
息子はそれを1番喜んでいた。

お家の写真は緑の庭に面したオープン
なお家で、ナチュラル感にあふれていた。
息子はやっとホッとして
嬉しそうにしていた。

荷物の準備も始めた。
正装用にスーツも1着用意した。
16歳の息子が急に大人に見えて
ちょっとだけ胸が痛む。

部屋の隅にはいつもスーツケースがあり
少しずつ荷物が積み重ねられていく。
高校の校長先生へのお土産、
クラスへのお土産、
新しい家族へのお土産。
お土産の例までマニュアルに
書かれているが、
日本らしい物に悩む。

中学生1年から習ってきた
ギターも持っていきたいと、言う。
飛行機の荷物の制限は30キロ。
体重計で何度も確認した。

年末に、出したままだった息子の扇風機を
片付けながら、
「こんなことも手伝わなきゃだよ。
 自分の身の回りのことは
 自分でしなきゃね。」
「ま、できるだけ。」
 「帰ったら、下の学年だね。
 どんな雰囲気?」
 「結構、知ってる奴いるし、
  何より今のクラスより男子が
    多いからいいよ。」

息子がポツリと言った。

   「俺さ、時間ほしかったんだ。
      自分の進路考えるのに、
      少し時間ほしかった。」

    そうなんだ。

 ただ英語が話せるようになりたい
 だけじゃなかったんだ。


おじいちゃん子だった息子は
地元で医師をしていたおじいちゃんが
地域の人たちに慕われている様子を
見て育った。

おじいちゃんのお葬式の
孫の挨拶で
「おじいちゃんみたいなお医者さんに
 なります。」
と、言った。

でも、物づくりも大好きだった。
いつも、自分のアイディアを試して
みたかった。

手先が不器用なこと、細かい作業が
あまり好きでないことに
気がついてからも、
ロボットや機械工学みたいなことにも
興味があった。

自分の発言に縛られているわけでは
なさそうだったけれど
いつも胸にあったんだ。

息子の気持ちが痛いほどわかる。

長女はその頃高校3年生で
受験直前だった。
画の道に進むまでの
彼女の葛藤を見てきた。
画に向かう時だけは
ひたむきになっていた。

2人とも「なんとなく」では
動けない性格だった。

自分の「何か」を捜しに行くんだ。

子どもたちは子どもなりに
自分の未来を真剣に考えていた。

ノーテンキに見えても
不機嫌にしてるだけに見えても
日々の暮らしの中で
自分のアンテナに響くものを
見つけようとしていた。

そうだったんだ。

いろんな想いが振り切れた。

また、いろんな体験をして
大きな視野を身につけておいで。

そんな大らかな
気持ちになれた。


だが、
出発の前日、それも夜。
渡航の調べ物をしていた息子が
叫んだ。
ギターのケースは
ハードケースじゃないと飛行機に
載せられない、と書いてあった。
普通のカバーしかつけていなかった。

慌てまくる。


「もう!何やってんのよ。ホントにいつも
 直前になってからだし〜」
「俺だってわざとじゃないし、云々」

車の中でさんざん小言を言いながら
郊外のモールの中の楽器店に
駆け込んだ。
ハードケースは1台だけあった。
息子のギターがなんとか収まるケースだった。

家に戻ったのは22時近かった。
それからハードケースの
重量分の荷物を出さなければならず。
またもや文句を言い合う。
最後の夜までこれだ。

しんみりする暇もなかった。



空港の中はお正月休み明けで
混んでいた。

行き交う人達の声が反響して
ざわめいていた。


荷物を預けて2階に上がっていくと
友達が数人、見送りに来てくれていた。

中学1年からのサッカー部の友達だ。
いつも一緒で、泣いたり笑ったり
転げだり、喧嘩もしてきた仲間だ。

息子の驚く顔も、
友だちが囲んで、声をかけながら
肩や体を叩く様子も
涙で滲んでぼんやりしか見えなかった。

少し離れたところで
その男子たちのお母さんも
同じように涙を拭いていた。

ガラスの向こうに消えていく息子を
友だちが大きな声で
送る。

何年ぶりだろう。
屋上に出て、
飛行機が 空に飛び立つまで 
みんなで見送った。

男子たちはどこででも
仔犬のようにじゃれあっていた。

この光景はいつ見ても
微笑ましかった。
一緒に過ごせた時間が
ただただ、ありがたかった。

飛行機が動き出す。
徐々に速度を上げる。

空に向かって、大きな翼が
風を切っていく。

行っておいで。

まだ見ぬ世界へ。
新しい自分を知る旅へ。



翼を生やした息子が
大空へと飛び立っていった。


大きな翼が残していった冷たい風が
滑走路を舞っていた。















  
  



トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。