旅立ち

いつもより早めの朝だった。


いつもは食べないパンのリクエストに
最後の朝食を感じる。


パンのリクエストは
アボガドとちりめんじゃこの
チーズのせトースト。
1番下にちぎって敷いた
シソの葉がいい味だしてくれる。


昨夜からむいておいた
パール柑の
ヨーグルトあえもサービス。
蜂蜜とオリーブオイルが
風味をプラスして
プラックペッパーをひくと
きりっと甘みを引き立てる。


夫も手入れのコーヒーをいれる。

少し特別の朝食になる。


それからは淡々と
化粧をして

あれ入れた?
これは持ってかないの?

やりとりをしながら
出発の
時間が刻々と近づいてくる。


仏壇のおりんをチーンと鳴らし
手を合わせる。


車で出て行く私たちに
おばあちゃんと夫が
いつまでも手を振っていた。


旅立つ前のお約束の
お墓参り。


長女も
長男も
遠くに旅立つときには
必ずお参りした。


小さな墓石が周りにたくさん並んで
真ん中の大きなお墓に
お参りする次女の背中を
みんなで応援してくれている。


いつもそう信じている。



空はどこまでも青い。

この青空が東京まで
続いていますように。




朝の時間の渋滞も少なく
あっという間に空港に到着した。



改装中の空港はお店も休業中で
搭乗手続き以外は
することもなかった。


待合の椅子もなく
顔を見合わせる。


「じゃあ、行くね」
踏ん切りをつけるように
次女が言う。

そしてバックから
ゴソゴソと手紙を取り出し

「これあげる」
「お父さんとお母さんに」

と、2通の手紙を渡して
少し潤んだ目をサッと前に向けて
保安検査の中に入っていった。


次女が手紙を書いていたことが
意外で、
慌てて受け取っただけで
不覚にも涙があふれてしまった。



荷物を受け取って
振り向いた娘に
気づかれないよう、
大きく手を振った。



いつになく広く空いた
駐車場の車の中で
手紙を開いた。


次女からの手紙なんて
中学の塾の合宿以来だ。



その手紙には
こう書かれていた。


「こんな時期に東京に
   行くことを許してくれてありがとう。

   18年間数えきれないくらい
   ケンカをしてきたね。
   私は自分の思っていることを
   上手に言葉にすることが
   できないかわりに
   暴言でたくさん傷つけてしまって
   本当にごめんなさい。

 そしてどんなにひどいことを言っても
 次の日には普通にお弁当を作って
 普通に一緒にテレビを見てくれて
 ありがとう。

 この間は感情にまかせに
 大嫌いと言ってしまったけれど
 全然大嫌いではないよ。
 だからと言って大好きでもないけれど(笑)

 多分、いままで色々お母さんが
 やってくれたから今度は
 自分でいろいろ挑戦して
 みたかったんだと思います。
 お母さんの働きぶりを1番長く見てきたから
 私も家事はなんとかやっていけそうです。

 18年間どんな時も
 応援して支えてくれて
 ありがとう。
 
   これからも暴言癖は治らないと思うけど
 本心ではないので、聞き流してね」



なんだ、

ちゃんと伝わっている。

ちゃんと伝わっていた。



イマこのときに
言葉にして伝えてくれたことが
何より嬉しくて



それでも手元を離れていくことの
寂しさがあふれて


しばらく涙が止まらなかった。



子ども達の存在は
たしかに恩恵だった。


初めてお腹に宿した
その時から
どれだけの喜びと
悩みを
もたらされたことか。

赤ちゃんの
一挙手一投足に
喜びが溢れる日もあれば


すべての時間を子ども達に
奪われていくようで
孤独感に襲われる日もあった。



成長とともに
子どもの意志を
受け入れていくことが
難しく
正解が分からずに
苦しかった。


それでも
ワタシの想いの執着を手放すにつれ
心も身体も緩んでいく。


握りしめていたものは
なんだったのだろう。


開いたてのひらには
ただ、ぬくもりが残っていた。



不思議なもので
手放していくたびに
滞おっていたものが
動きだして


それまでの葛藤は
砂時計の砂のように
サラサラと流れ落ちていく。










やってみたい!
強い想いだけで上京させるのは
間違っているのかもしれない。


でも次女なりに
考えた結論だ。


不動産屋さんが
連休中はお休みになってしまうと言われて
相談したとき、

「東京は人口が多いから
    感染拡大しているように見えるでしょうが
    各区の比率からすれば
    他県とそんなに変わらないですよ。
    ここは住宅街ですし、
  わたし達は買い物も行きますし、
    普通に暮らしています。

 歩いて行ける距離にスーパーもありますし
 電車に乗ったり、
 人混みに出かけない限り
 暮らしは変わらないと思います。
 暮らしに必要なものは
 送られて、 あまりに買い物に
 出られないように
 されたらどうでしょう。」


物件を捜す時も 
地元の不動産屋さんとして
女の子の一人暮らしだからと、
大家さんと近くて
まずは安全、安心を最優先にして
学校から歩きでも自転車でも
通える場所、
買い物、駅にも程よい距離を
勧めてくださった方だ。

とても心強く思えた。


ちょうど引越し日を休業するか
検討されていたようなのだが
次女さんがその日来られるなら
店舗は空けて
ご案内しますよ、とまで
言ってくださった。


連休以降の移動が増えることは
電気やガス、wi-fiの設定の立会が
混んでいることでもわかる。


連休明けには
おそらくみんな動きだす。


できれば
人が少ないうちに
新しい暮らしの準備をしたい。



そして自分のことも
人のことも
ちゃんと守る。


唯一の東京の友達、
小学校4年の転校生仲間のKちゃんが
今東京に住んでいて
引越しの手伝いを申し出てくれたけれど


自分のわがままで
Kちゃんに何かあってはいけない、と
それも断り


全部を自分でやる。


その決意を聞いた時


夫が
「そこまで考えているなら
   行かせよう」

そう言った。



そして1人、旅立った。


山ほどの荷物をほどき、
家具も1人で組み立て
段ボールをくくり
ゴミを出し

1週間分の食料の買い物をして

料理も作りはじめた。


買い物は1週間に1度を目標に
外出を控え
自分の城を整え
リズムを整え
この時期を乗り越える。


そんな報告を受けながら


子ども達は
きっと
羽ばたく時を
ちゃんと知っている、

と思う。


たとえ、その時期に何が起ころうとも
蛹が蝶になるように


このときに
私は羽を広げるんだと、
決めている。


そうだね、
イマがその時だった。


ヘトヘトになっても
愚痴を吐かず
頑張る次女の姿を見て


これが我が家の正解だと、


この経験が
次女のこれからの
大きな糧になると


そう、私たちが
信じられれば
それでいい。



それでいい。



地元に引越して45日。



私と夫は

結婚26年目にして
最初の2人に戻った。



またここからが
新しいスタート。


どうぞよろしく。


静かな夕飯時に
そう言って笑った。

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。