チカラをぬいて

この日ネムちゃんは
活躍した。

二階でくつろいでいる時に
屋根に登るガタンと音がしたと思ったら
慌てて飛び起きて
廊下の窓から顔を出し
テリトリーに侵入してきた
ノラちゃんを発見した。

勢いよく外に飛び出し
屋根をかけて
壁を回ると見えなくなった。


ダダダと音だけがしたかと思ったら
顔見知りのノラちゃんが
屋根から
塀に飛び移って
走り去った。


ネムちゃんは
ハァハァと肩を揺らしながら
戻ってきた。


「やるなぁ、ネムちゃん。
 男の子らしい」

ネムちゃんは
興奮冷めやらぬ様子で
外を伺っていた。



ひと月前、初めて窓越しでノラちゃんに
会った時も、
びっくりしながら
にらみあい
それでも引くことはなかった。


翌日の朝
雨戸を開けて驚いた。


仕留めた小鳥が
置いてあった。


ノラちゃんからの
プレゼントらしかった。


猫の社会って面白い。


それからノラちゃんは
あまり姿を見せなくなった。


ネムちゃんは庭に出ると
地面や犬走りで
体を擦りまわって
砂だらけになっていたが



なるほど、匂いをつけて
テリトリーを
主張していたわけだ。


遊びにきていた
飼い猫ちゃんが表の庭石で
のんびり寝転がっていた時も


ネムちゃんは
臆せず近づき
飼い猫ちゃんが
飛び上がって
逃げていった。


ピンポンのチャイムが鳴るだけで
逃げていってた
臆病者のネムちゃんが



いつのまにか
自分のテリトリーを主張する
立派な飼い猫に
なりつつあった。



そういう頑張りを
見せた後の

この姿(伸びた寝姿)。


私の進行を先に捉えて
通行止めのように


身体を伸ばし

「なぜて」

を、主張する。



初めて屋根に登った日も


初めて
裏のよその敷地に足を踏み入れた時も


2メートルもある塀を
自力でおりられた時も
(何度か試みてはやめていた)


こうして
自分の頑張りに対しての、


ねぎらいを
求める姿は


飼い主としては
ほほえましかった。


「ネムちゃん、頑張ったね。
 偉かったね〜」

と、言いながらナゼナゼすると
喉を鳴らして
前足をモミモミさせている。



猫だって人と
同じなんだなぁと
しみじみする。


少し背伸びして
行動を起こした時。


震えのくるような怖さを
乗り越えた時。


後ろを振り返り
見ていてくれる人がいること、


頑張りを認めてくれることは



必ず次のチャレンジにつながる。



いっぱい撫ぜてあげよう。



2ヶ月で

あくまでも自分のペースで
こんなにも世界を広げた
ネムちゃんの頑張りに
敬意を表して。




こうやって
ネムちゃんとの毎日に
驚いたり
慌てたり
ほっこりすることが


子ども達が巣立った
わたし達夫婦にとって
楽しい話題になっていた。



ネムちゃんに1番不人気だった
夫がいきなり2位に浮上し
けっこう仲良くもなれた。


ネムちゃんにかまう夫を
見ていると


実は愛情豊かだったのだけれど
今までどう表していいのか
わからなかったんだろうなぁ、
と感じた。




そんなこんなの日々の中で
張り切っていた
掃除にはほどよく飽きて


もとの大雑把に戻りつつあるけれど
新しい暮らしの中で
また変化が起きつつある。



しなければいけないことに
囚われなくなったのだ。



いつも
あれもこれもやらなきゃと
思っていた。
(その割にはやれてなかった)


頭の中は思考でいっぱいで


忘れないようにしなきゃ、

しなきゃ
しなきゃ

に追われていた。


地元に戻り
引越しがひと段落したら
このコロナ自粛のおかげで


わたしのモードは
ゆるりとGWのままなのである。



お天気が良ければ
洗濯物を干すついでに
草取りをして


洗濯物が少なければ
明日でいいや、と思える。
(洗濯は毎日必ずするものと思っていた)


仕事はやる気になった時に。


お休みの日は
庭で昼ごはん食べたりして


朝だけでなく
夜にもヨガをして
(ひと月に一度通っている
カイロの先生に二ヶ月ぶりに行って
状態が良くなっていると、ほめられた)



こんなにのんびりした気持ちで
毎日過ごしたことは
なかったなぁぁぁぁ。
と言うくらい
気持ちが穏やかなのである。


気がつけば
ぼんやりと
何も考えていないことも
あったりする。


さぞや仕事も抜け落ちて〜 
と思ったりするのだが
意外なことに
抜け落ちていない。


しなければ〜に追われていた日々と
そうでない今と


1番違うのは
逆らっていないことなのかも
しれない。



何に?



暮らしの流れだったり
その時のわたしの気持ちに。


わたしのリズムや
わたしのペースに。



以前のわたしは


子どもの手前、
ダンナの手前、
おばあちゃんの手前
人の手前、


手前がいっぱいあって
まぁ、いいや〜
がなかなかできなかった。


どこかに力が入ってて
瞬間的に
動けるように
かまえていたのだ。


イマ、ゆるゆるとした気持ちで
何の心配もせずに、
テレビもさして見なくて


ヨガをして
心と体を整えて

庭に出て
草や地面に触れて

心の中の雑音が
どんどん消えていくと


体の中の力も抜けて
本当の意味で
リラックスしていた。


力をぬく。


ただそれだけで
自分も自分の周りも
変化している。


つい、
「幸せだにゃ〜」
と、ネムちゃんをなぜながら
つぶやいてしまう。


そうすると
さらにしあわせ感が増していく。


わたしがそんなふうに
しあわせ感で
まったりしていると


なぜか夫が
テキパキ
動いてくれたりする。


不思議な現象だけれど

何度か体験すると

「幸せだにゃ〜」は
使えることを知る。



なんだ、
わたしのしあわせは
みんなのしあわせ?



どこかで読んだ
一文が
我が身にも起きてくる。



子どもが巣立って
現実的に楽になったから、
だけではない、と思う。

 

きっと
子ども達がいても


わたし自身が

しなきゃに追われず
かまえなくて
心配事を見つけずに
安心して 
流れに逆らわない
在り方を
選択してきたら


もっと
穏やかに
わたしも
みんなも
しあわせに
過ごしてこれたのかも


ちょっと申し訳なく思う。



ただ
知らない間に
習慣のように
身体に力が入っていたことは


ヨガをしながら
気づいたことだ。


力をぬくことを
意識することで

力が入っていたことに
気づく。



身体と心は
いつも一緒に動いている。



感情を解放する、
心をゆるめる、
あれこれ考えるより



身体をゆるめていくことが
心をゆるめる
近道だったようだ。



そうして
身体もゆるんでくると
やるべきことへの瞬発力も
上がる気がするのである。



それはまるで
外猫になりつつある
ネムちゃんのように。




心と身体が
整うとき、



わたしとワタシも
一つになっていく。

トリニティ

回り続ける三つの渦が、 織りなす世界を綴ります。